幸福感

No. 17  幸福感

「幸せ」、この言葉を突き詰めて考えてみれば、その感じは「意識的感じ」から心で表現される意識の作用である。

「幸せ」の感じは、物質的な満足と精神的な潤いからくる安心の二つの形がある。

この二つの「満足感と安心感」をさらに追求していくと、「幸せ」というものの本質とそれに左右される人間の意識的レベルのあり方が見えてくる。

物質的に「幸せ」と言えば、お金に困らない、単純に美味しいものを食べている時、心から楽しく遊んでいる時、恋人と一緒にいる時、欲しい物がいつでも手に入る、などほとんどの人に当てはまるのは、物質的な満足がある程度自分の思い通りに得られる、またはそのように生きられる人生という事になる。


では、精神的な面ではどうだろうか。

精神的と言っても、物的結果から得られる喜びと、純粋に精神的なことから来る喜びに分かれる。

地位、名誉、成功などの達成からくる喜び、家庭が非常に円満である心地よさ、心配不安なことであれば、心の問題から解放されることや病気の回復などは本当に「幸せ」を実感するだろう。

このように「幸せ」は、物だけではなく無形の精神的満足からも感じられる。

その反面、精神性だけでみると、意識的理解や向上、またそれから表現できる肉体的感じによる喜びなど、深く満たされた意識的感じは、全体的な「幸福感」を把握できる。

結局「幸せ」を感じるのは、それが物的にしても心的にしても「意識的感じ」から生じる自己の潜在意識による反応ということになる。

潜在意識から「幸せ」の感じが呼び出され、心そして肉体でそれを表現または実感するのである。


では、肉体そのものが受ける「幸せ」という感じは、あるのだろうか。
我々の体に直接作用する脳内物質の中に、ベーターエンドルフィンというものがある。

ベーターエンドルフィンという脳内物質は、一種の脳内麻薬といわれるものでこれが多く体内に出されると、ゆったりとした感じや気持がリラックスし「幸せ」な感じが出てくると言われている。

ストレスを和らげるためには、このベーターエンドルフィンが肉体に果たす役割は非常に大きいのである。

しかし肉体の安らいだ感覚自体は、ベーターエンドルフィンが出される事によってある程度続くが、それは長くはない。

この物質が出されるのは、一時的というよりいつでも出される状態になる意識のあり方次第ということになる。
簡単に言うと、心がポジティブ状態というのがそれに近い。

ベーターエンドルフィンは、肉体的な刺激によって出される以上に意識的な要素が大きく絡んでいる。

我々は、このベーターエンドルフィンが出される事によって「幸せ感」に満たされるなら、自らこの物質を出せる状態にすることで、いろいろなストレスや疲労から自分を少しでも解放される癒しの状態に置けるのである。

このようなことが可能になれば、我々はとりわけストレス解消や疲労解消のために苦労したり、そのために多くの時間を割いて気分転換を図ったりする必要が少なくなるのである。

またこの事は、一生関わって行く事であるから、「幸福感」だけでなく病気予防や健康維持につながる大事な事になる。

「幸せ感」という感じが意識から生じ、またそれによってベーターエンドルフィンも多く出るのであるなら、我々は何らかの意識的行為によって自分の中に「幸せ感」を起こさせるベーターエンドルフィンを出やすくさせ、それに浸ることが可能になる。


私は、潜在意識を深く理解するために、多くのいろいろな瞑想をやってきた。
それは、現在も続けている。
この瞑想の詳しい説明は次回掲載する予定である。

ここでは、瞑想で出来ることやそれから得られることを説明する前段階として、「幸せ感」とそれがもたらす心身の作用を述べる。

今の私自身について言うと、エネルギーを補充したり、疲れを取ったりすることはある程度自由に行なっている。

「幸福感」という意識的な感じにしても、いつでも意識に呼び起す事もできる。
そのときは、うっとりするような気持になり、体も非常に気持ちよくなる。

もちろんこの時は、ベーターエンドルフィンかそれなりの肉体に安らぎを感じさせる物質が出ているに違いない。

このようなことは、簡単な意識的作用だけで言えば、喫茶店にいる間や乗り物に乗っている間、また少し時間が取れる時など、要するにいつでもどこでも出来る方法である。

エネルギー補充に関して言えば、私は目をつぶって集中していると、意識の中に小さな点のようなものを見つける。

それは白またはシルバー、時には薄黄色などに見える。
私はその点に意識的に近づくと今度はそれがこちらに向かって来る。

そしてそれに意識的自己が覆われて行くと同時に、全身に振動エネルギーが浸透してくるのがはっきり感じられる。

それは、その偉力は言葉に表せないような、圧倒的なエネルギーまたは活力といった感じである。
これは、一分もあればできるのである。

私自身が今まで体験してきたリラックスや瞑想で得てきた事は、実際の生活の中でも適用できる。

単なる超能力的な力ばかり目指してもほとんどの人は、失敗するのである。

自分や人に役に立ちそして実生活で使えるものを修得していけば、またそれが当然という感覚になれば、始めて次に高い段階の能力を目指せるようになる。

何も知らない意識に、どうして「超」の付く能力がやって来るのだろうか。


「幸福感」というものが、何かの物そして人の心や愛に頼らなくても、個人個人の意識によっ
ていつでも現すことができれば、それこそどんなに幸せなことかとつくづく思える。

人によっていろいろな事情はあると思うが、「幸福感」の理解が心身の健康の基盤となる事まで分かれば、どうして体調不調にいつまでも苦しんだり大きな病気になったりすることがあるだろうか。

それこそ、余計なことに気を回したり、時間を取られたりすることがないだけ、自分の仕事にまた求め目指すことに十分時間をかけられるということである。

目先を考えるとそこまでする必要が無いと思われるかもしれないが、人生という長い時間を考えると一歩一歩の積み重ねは、いつの日か気づいて自己の過去を振り返って見た時、今ある自分との差に驚くだろう。

沢山の物を自分の周りに集めることによって幸せを感じる人は、真の自分自身からどんどん離れさせている事に気づかない。

物があっての自分なのか、物がなくても自分を確信できるのか、この事はとりあえずこの世だけの自分かまたは大いなる未来と全体に続く自分かという意識である。

「幸福感」の究極は、絶対的安心である。

自己が認め納得する安心は、物でも心でもない深い意識からくるものでなければならない。

そのすべてをカバーするのが、自己と他人、世界と宇宙そして霊性を深く知ることから得られるのである。

潜在意識の理解による「幸福感」の内的感じは、「幸せだなぁ」と心の底からにじみ出て来るような意識である。