葛藤とストレス(1)

No. 15 葛藤とストレス (1)

ほとんどの人は、何らかのストレスと戦いながら生きている。

しかしストレスは、人の人生から完全に無くす事は出来ない。

単純に言うと、自分の思い通りに行かないこと自体がストレスであるから、我々は生きている限り、ストレスから一生離れることが出来ないということである。

一つのストレスからようやく解放されたと思ったら、また自分を悩ます次の問題が出て来る。
このようにいつでも新しい問題が出て来るというのは、特別気が付くことではないがこれも心の作用なのである。

ストレスは、我々の心の中でいろいろな葛藤によって起きる事は間違いない。
その葛藤を自分なりに見つめてもなかなかすっきりした答えが出ないということは、いつも自分の心に何か重さを感じるものである。

そして、自分が受ける外部からのいろいろな物理的、感情的、精神的な不快さによって、また新たなストレスになってしまうのである。

極端なことを言えば、我々は一生途絶える事のないストレスになる原因を心に持っているといってもいい過ぎではない。

自分の中に元々あった葛藤や不満などは、いつでも他人の言葉や仕事、対人関係などですぐに火が付くかまたちょっとしたことでも燃え上がる事もある。
現代は、「ストレスに押しつぶされそうだ」という人が多くなって来ている。

また、ストレスは単なる心だけでなく健康状態にも大きく影響を与えることが、ストレスによる病気の増加によって、その関連性を一般の人も考えるようになってきた。

現代は、西洋医学が大きく発達して来ているが、その反面病人の数は減るどころか増え続けているのである。

ストレス解消法なるものは、いろいろ考えられてそのような方法もたくさん出されているが、所詮一時しのぎに過ぎない。

たとえ、一時的な効果であっても、ストレスを溜め込むよりはいいことであるが、解決されることなくいつも心の隅に閉じ込めているだけでは、その反動で悲しい結果を招きやすい。

やはり大事なことは、心からストレスを跳ね返す力をつけるしかないということになる。

ストレスから解放されるということは、大変難しいことでありその手の本などもたくさん出ているが、やはり読んだ通りにうまく出来るものではない。

仮に同じような内容の問題でも、人それぞれ個性があり、生きてきた環境や心の反応も違うのであるから、個人が感じるストレスの程度も違って来る。

特に現代は、ストレスといっても一つだけでなく、いろいろと複合している事があるのでその解決を難しくしている。

ストレスや葛藤から、真に解放される方法や少しでも抜け出す方法は無いのだろうか。

「あちらを立てればこちらがたたず、こちらを立てればあちらがたたず」。
いつもこのような葛藤で、いつの間にか時は過ぎていく。

結局なるようになって、なるように苦しむというのが、今までの答えであった。

しかし、いつまでも変わらぬものの中や変える事の出来ない考えの中で、いつまで待っていても変わる訳はない。

我々は、ストレスを何とかしようとする前に、何故それが自分にとってストレスになるかを考えなくてはならない。

その原因は、自分の心であるから何故葛藤が起きるかを考えなくてはならないのである。

それも、真の自分の姿である。

潜在意識を見つめると言う事は、こういうことであって、何かが解らないのではなく素直で素の自分を見つめてみれば答えが出てくることもあるのである。

潜在意識を見つめると言う事は、まだ小さかった子供の頃から10代のいろいろな印象も思い出さなければならないし、またそれ以上知ろうとすれば前世まで踏み込まなければならない。

その他にも、いろいろな見方を導入して始めて全体が見えてくるのである。

このように追求することは大変なことであるが、少しでも近づいていければ自分を解放する知恵が見えてくる筈である。

欲、執着、背伸び、ない物ねだり、あせり、競争心、ねたみ、羨望その他心配、不安、恐怖心などいろいろ余分なものが邪魔していることがある。

本来の自分に見合ったもの、実力にあったもの、それは意識に関しても同様である。
すべては、このようなことと自分のあり方の関係である。

結局、単純なストレスでない場合は、それを克服するための心の強さを知る必要が出て来るのである。

とにかく、心の中の葛藤やストレスというものについて、ああだこうだといろいろ定義し説明しても、大して役に立つものでもない事は私自身よく知っている。

葛藤やストレスからの解放を前提にするなら、第一に必要なことは、「ストレスの中で考えない」ということである。

始めは難しい事であるがいつも客観的に冷静に、そのものから離れて見つめることをしなければいつまでたっても苦しみから抜け出せない。

今は出来なくても、自分の一生から考えれば一つ一つの積み重ねが訓練であり、それが慣れとなって行くようにすればいいのである。

この世は、ストレスの塊である。
この世はネガティブ(不調和)の坩堝である。

自分の心がいつもさわやかであっても、生きる事自体まわりのネガティブに接する事になる。
いついかなる時に、その大きなネガティブの波に飲み込まれないとも限らないのである。

このような言い方は、ネガティブで不安を与えるようでいいことではないが、しかし「知っておく」ことはそれ以上の安心感につながる事もある。

人の心の中には、葛藤するものが多くある。

人は、生まれながらこの世というネガティブの中で育ってきているから、ネガティブの状態に慣れている。

ポジティブ思考は知っているが、ネガティブの正体やその作用はあまり話しに出てこない。
ポジティブ思考をしていればネガティブが消えると思っている。

確かに完全なポジティブ思考であれば、なんらネガティブには影響されないであろう。
しかし、そこまで知っている人は少ない。

今あるポジティブ思考は、問題にふたをして見ないようにするか、忘れた振りをして勤めて明るく振舞うか、または逃避するかである。

これも一つのストレス解消法かもしれないが、いつまでも続くわけもない。

人に現われるストレスの中には、どうしてもそれから解放されることが無理なものもある。

このような人には、どんなアドバイスや一時しのぎの言葉など何の意味がないこともある。
真にストレスに強くなりたければ、心を強くする事しか方法はない。

心を強くするとは、ネガティブであるストレスの正体を暴露できる力をもつということで、ネガティブに負けないより強いネガティブ心になることではない。

自分の心の中にある葛藤を解決していく事は、その近道である。
その答えが、次の知恵を呼び寄せるのである。

その半面、葛藤であってもストレスであっても、その答えは次なる葛藤を生み出すことになる。
すべては、我々の理解の程度で受け止めるしかないが、それがそのときの最良の解決法となる。

すばらしい答えがあることは事実であるが、それをどの程度理解できるかであり、私自身も理解を深める事を最大の重要なこととしている。

もしこのような状態のことまで考えたストレス解決法を理解していれば、少なくても今までのような悩み方はしないだけでなく、そのストレスの内容と方向性まで見ることができるのであ
る。

我々がこのようなことを解ると、ストレスによって悩むと言うよりは、そのストレスを一つの思考する対象として考え、そしてそれを冷静に分析判断して必要な行動を考えるようになるのである。