潜 裡 眼
No. 23 神 (2)
人間は古代から神を崇拝し、祈り続けてきた。
しかしその祈りは、ほとんど神に通じることがないまま現代に至っている。
神に手を合わせ祈ることが神と接することだと何世紀にも渡って信じこまれてきた。
神は、人間に祭られ祈られることを求めているのか、そうしなければ人間のために働いてくれないのか。
絶対究極な神は、自分に都合の良い祈りばかりをする人間をいちいち相手にするのだろうか。
それとも神を信じてあげれば、人間の願いは聞かれるものだと思っているのだろうか。
神(魂)に自分を気づいてもらうための基本的な意識的同調は、調和の「道」である。
ほとんどの人は、自己の深い意識の中で神に接近することなど考えもしない。
また、人が抱く神の概念もそれぞれ違うだろう。
はっきりとしない実体のない神、そこには自己想像の神があるのみ。
そして、人はその自己想像の神に祈る。
その祈りは、ほとんど神に届くことはなく自分止まりである。
闇は光と交わることはないのと同様に、不純が絶対純粋の神と交わることはない。
「苦しいときの神頼み」の苦は、闇や不順と同類のネガティブである。
人が苦しむのは、神に対する理解を曖昧で良しとして来たことに問題があるかもしれない。
それは、見方を変えるとネガティブを良しとしていることである。
このように見つめていくと、ネガティブの中で生きている人間が、完全な神(魂)に接することができないのも納得がいく。
我々の世界にも道理があるのと同様、「神様、仏様」と祈る前に、我々には為すべき必要な事があるのだろう。
ネガティブというのは、一般的に知られ使われている意味以上に、我々の意識に根深くはびこって催眠的に大きな影響を与えている闇の力である。
古代から何世紀にも渡って世界中の人間を苦境や混乱に陥れてきたさまざまな戦い、現代においても一部の国では戦争をしている。
誰もが「もし神が本当にいるなら」と思いたくなるように、どの世界においても人が望むような平和に神が関与したという形跡はない。
現代は、テロ、世界的な核の問題、地球環境問題、新型ウイルスによる病気,国内でも大地震の恐怖、社会情勢の不安定などこの先何が起こるか分からないといったことが、潜在的な心配不安の因子となって我々の精神状態に大きく影響を与えている。
形骸化された宗教は、依然として我々に何も教えてくれることはなく、何かを求め探しても一時的な慰めやそのつもりにさせることでその場は過ぎ去らせるしかないことばかり。
科学文明は急速に発展し、それに人が追いついていくのも大変な時代になっている。
精神的平安は、益々自己から離されそして遠ざけられていく。
心の重さや苦しさの原因をストレスや不満そして何かのせいにする事以外、さらに深い真の原因まで目を向けることもできない。
我々は、このようなネガティブ意識でも神にすがり、そして神が自分のために何かしてくれることを期待しているのか。
もし人が、神は絶対平等ということを真に理解していたならば、ずっと以前から自己を守る知恵は持っていただろう。
神は、自ら創った法則の故に例え何十万の人が死ぬ戦争が起きたとしても、人類を助けることは出来ない。
神にむなしい期待を寄せる意識はもう捨てなければならない。
我々は、神に対して間違った近づき方をしていることにそろそろ気が付かなければならないのである。
歴史は十分に説明してくれている。
神は我々に十分教えてくれている。
本来我々が神として祈っているのは、その対象となるのは自己の魂である。
それは、今よく使われているハイヤーセルフなどというあいまいなものではない。
魂も神であるから、人間が自分の都合よく使おうなどということはできるはずがない。
我々が神に少しでも援助してもらいたいと思うなら、神を我々に合わせようとするのではなく、我々が神に合わせなくてはならないのである。
神(魂)との同調こそ、真に神に祈ることである。
この世と神の世界は違う。
神に同調するということは、簡単に言えばこの世の意識を少しでも神側の意識に近づけるか変えるということになる。
神の属性としての顕れは、基本的にこの世においては善であり調和であり愛や生命そして平和などである。
我々の神である魂にいつまでも接近できない理由は、ネガティブという邪魔者がいつも本物を隠しているからである。
何が本物で何がうそや偽物かがはっきり理解できるようになると、我々はより自分の魂に近づいていることになる。
神への接近を邪魔しているのは、昔も今もいつも我々の中にある当然として親しんできたネガティブということになる。
このことが理解できれば、人間は誰でも大きく変われるのである。
それは、本人の意識と理解力そして魂のささやきが、自分のうちで感じとして知らせてくれるだろう。
主要な事をまとめてみよう。
◆ 神と会話のできる者はいない。
創造神は、全ての全てに浸透している言語を絶した実在であるから、一般個人を選びまして個人的な事で接してくるなど絶対あり得ない。
◆ 魂は神のレベルであるから、魂とも直接会話をすることはできない。
魂からは、インスピレーションや直感などで必要なことを受ける。
もし魂と完全同調が出来れば、イエスや釈迦レベルの意識である。
魂について多くのことを知ることは、神と人間の本質がより理解しやすくなる。
◆ 自己の魂や高級意識(守護霊)は、簡単にしかもテクニックなどを使って接することはできない。
テクニックは作られた観念である。
それに頼れば、ほとんどが限定された観念の幻影を真実と信じることになる。
人間の意識や行動は、高級次元にある魂にすべて知られている。
テクニックで何とかしようとする考えは、既に自分の中で低級化した神を相手にしようとすることである。
◆ このようなことから言えることは、神や魂に関して誰もそれに完全に接する力はないということになる。
神は絶対平等である。
しかも、この絶対にしても平等にしても、この世に通じる意味とはほとんど違う霊的意識としての意味である。
私がつくづく真の意味で理解したことは、この平等性の故に神(魂)はそう簡単に我々を助けてくれるものではないということだった。
人間的見方から言うと、神(魂)は非情にさえ思える。
だから、我々の方から真の霊的意味に沿って、自己の魂に近づかなければ何の援助も得られないのである。
◆ 神という前に我々は自分の魂に近づかなければならない。
魂は我々の真の意識であり、生命そのものである。
その背後に偉大を超越する創造神が全てに浸透している。
それが、創造神の姿であるから、我々は見ることも知ることも出来ない。
しかし、全ては我々の魂を媒介にして一つになっているので、我々は神というより自分の魂を通して大事なことを得ることができる。
自分の魂に限りなく近づいていくことが、真の生まれ変わりの目的である。
◆ 魂は霊界に属しているから、直接生まれ変わりに関わることはない。
我々の今の意識が輪廻転生の原因となり、過去世に積み上げた意識と共にカルマという形で表現される。
そのカルマと言うものは、前世療法などで扱っているような単純なことではなく、深く潜行するカルマ意識は、ほとんど人が知ることはない。
◆ カルマの除去については、前世のある強い現われだけを克服することに重点が置かれているが、我々が無数の生まれ変わりをしていることを考えてみれば、その全ての過去世のカルマはどのように克服したらよいのだろうか。
現代人が特に悩ませられるストレスは、一つや二つのことではなく、幾つも複合して抱えることもある。
原因がなくて何かが現れることはない。
人が抱える心の悩み、問題もそれが現れるようにした自分の何かが原因と考えられる。
個人の全体意識から考えてみると、前世だけでなく過去世を含めて考えて見なければカルマの影響というものが説明できなくなるのである。
もしカルマが関係ないとしたら、生まれ変わりの真の意味がなくなるのである。
◆ 我々の過去世におけるカルマを全て克服しなければならないとしたら、その膨大な量に対して人は希望を失うであろう。
潜在意識の理解が一般にも浸透していけば、そのような時代はあと何十年か経てば来ると思うが、その時がくれば、前世療法やカルマ療法そしてインナーチャイルドやハイヤーセルフなどといった療法も必要がなくなるのである。
問題は、潜在意識の深い理解で解決するからである。
そして、最終的に我々が最も苦しむのは、魂に最も近い側の潜在意識にあるカルマの除去ということになる。
その苦しみは、悩みの形態とは違う理解の苦しみである。
以上の内容をよく分析して、いろいろな人が言っている霊的、神的、それに魂や前世に関することに注意深く当てはめてみると、真偽の程度やその人の理解に関する意識レベルなどもある程度分かるだろう。
何世紀も前に生きていた過去の人々の心や意識は、現時点からみるとあまりにも狭い意識状態の人間に感じるだろう。
現代意識から見れば「井の中の蛙」といってもおかしくないくらい限定された意識の中で生きていたと感じるだろう。
これは単に、いろいろなことを深く知っていないことに尽きる。
同じように、もしあなたが広大な知恵そのものである全意識から現代人を眺めたなら、それは自分の中でどう映り、そして何を感じるであろうか。