超意識の目覚め

No. 12  超意識の目覚め

「潜在意識は中継点である」

この内容に付いて、もう少し説明をしておきたい。

宗教は、長い間人々の支えになってきたことは事実であるが、現在に至ってはその宗教も人を説得させる力が薄らいできた。

説得させる力が薄らぐというよりは、視点の変わらぬ同じ繰り返しの説教や、人が本当に知りたいと思っている疑問にもはっきり答えられない伝統的宗教に、人は気付き見切りをつけ始めたと言ったほうが適切かもしれない。

今の若い人やこれから生まれて来る子供達においては、益々この傾向は強くなるだろう。
将来に向け、今の宗教が盛り返すことは、私にとっては考えられないことだ。

宗教全体を見渡して私が思うことは、教えや宗派によって自己を閉じ込める、また自分の宗教と同調できない教えには敵対視する、本来の愛と平和をもたらすべき宗教の根本理念がどうして信者に浸透しないのかということである。

本質的に間違っている観念の基盤に成り立っている宗教について、言いたいことはいくらでもあるが、私の考えは宗教の形態はもういらないという事である。

しかしそのように言っても、霊的意識が薄い人には、霊的意識に触れるために一般的レベルに合った宗教というものが必要なことも確かだ。

宗教を学問にすれば、人間学である。

人間学である以上、人間の心から意識そして本質的なことまで、人間全般に関して探究しなければならない。
先祖のお墓守りとご利益主義だけでは、寂しい限りである。

私は、これからの時代、宗教に変わって求め知悉すべきものは、潜在意識の世界だと確信している。

潜在意識というのは、心や意識そして霊的なものまで含む。

霊的といっても、心霊や憑依などの低級な霊現象をさすのではなく、直接自己の意識向上に結びつく魂や神そして高級次元などを意味する。
低級な霊に関わっていることは、自己の成長において何のプラスにもならない時間の浪費である。

潜在意識に関わる事は、自分そのものに関わる事であり、今の自分のすべてがそのまま反映される事になる。

潜在意識という自己の本質には、うそやあいまいが通じるわけもないから、心から潜在意識を理解しようと思えば、必然的に自分自身に正直になるしかない。

自分自身と思っている心の中には、よく見つめて見ると何人もの人の考えが入って自分を混乱させている事もある。

最終的に、自分の思考と自分の中にある他人の思考は、完全に分離した状態で掌握していなければならない。

人は物事を考える時、潜在意識を中心に見つめることを習慣化すると、いろいろな事がもっとスムーズに運ぶようになるのである。

潜在意識から無意識へそして霊的意識や霊界に、潜在意識から死後の世界(黄泉の界)や前世へまたアカシックレコードリーディングに、潜在意識から思想・哲学・宗教全般の理解へ、潜在意識から心や顕在意識にそして人の意識へ、潜在意識を中心とする自己は物質界においての人間の中心点である。

「潜在意識は中継点」である。

これらの全てを自己の意識に入れて思考、行為することは、全てのことが一つの中でつながっていくことになる。

潜在意識にいる自分は、球の中心に例えられる。

球全体は、霊性も含めた全意識を含んだ大宇宙である。

自分が意識的な成長をするにつれ、球の中心が均等に拡大する。

どんどん拡大していけば、いずれは球の表面と一体になる。

中心と全体の統一であり、一体である。

球の中心は、球内のどこに移動して見かけの中心からずれたとしても、球の中心には変わりない、これは意識でしか出来ないことだと私は信じている。

そして、潜在意識から魂レベルに移行し顕現できる究極の意識レベルが、イエスであり、シャカであり、その他の聖人と呼ばれる人である。

イエスやシャカは、我々と同じ人間として、人間の進化した姿、そしてその理解に至るまでの過程や力の行使などを証拠として残してくれた。

私は、宗教はいらないと言った。
しかし、イエスやシャカの真理の言葉や行為は、大いに得るところが大きいし、霊的意識を高めるには絶対不可欠なものである。

イエスやシャカやその他の聖人と呼ばれている方々は、秘密とされているすべてのことを自己意識と一体化していることは当然なことである。

この世にあるどんな本にもその秘密は書かれていないだろう。
密教にしても同様で、我々はいつか教えの限界にぶつかる。

本の教えにも限界があり、そしてこの世に頼るものがないということは、我々の意識を高度に変換させることによって、そのような意識に接近するしか真理を知る方法は無いという事にな
る。

本や教えの限界という事は、人類にある意識は全てこの範囲内に過ぎないという事である。

キリスト教は約二千年、仏教はそれ以上、日本の仏教も千年以上の歴史があるが、我々は満足できる何かをこれらの宗教から得てきたであろうか。

このような長い期間がありながら、現在の世界の状態がその結果であり、これも一つの証拠である。

過去と同じ繰り返しでは、何も変わらないということを暗示している。

前にアカシックレコードという言葉が出たので、それに少し触れておこう。

前世は自分の過去世ということで興味を持つ人も多いと思う。

アカシックレコードは、精神世界などの本に書かれている事からよれば、全宇宙内の今までの全記録が残っている振動帯ということである。

これは時間の始まりからの全ての写しということであるから、我々が無意識状の振動を遅くする事によって過去に遡れるということになる。

このことから分かる事は、アカシックレコードを読めるという事は、単なる人の前世を知るということだけでなく、大変な秘密を知ることにもなる。

深い秘密を知るということは、究極の悟り、究極の意識レベルに近くなるということである。

前世に関連してカルマという事も出て来る。
ほとんどの人は、このカルマという言葉に不安や恐怖を感じる。

カルマというものは、過去世の自分の言動によって生じる今生に現れた報いという事であるが、自分でやった事は、他人が肩代わりしたり、消したりするという事は出来ない。

それは、どんな聖人でさえ出来ない、というより宇宙秩序からしてやらないだろう。

あくまで本人が犯した事は本人自身の力で克服しなければ何の意味もないだけでなく、もしこれを他人が行なうことになれば、宇宙全体の秩序である神の平等性がなくなることである。

神は絶対、絶対が維持できなければ、全消滅があるのみだ。

カルマだけでなく、人の心の悩みや苦痛を考えてみると、その解決策は「知る」ことである。

人は、何かを知らないから答えが出ないのであって、その結果悩み苦しむ。

その心の問題も、感情であったり、欲がらみであったり、真に探求することであったり、人それぞれ千差万別だ。

しかし、人の悩みや、心の病気というものには、それなりの答えがある。

私が、このような人から相談を受けて苦心するのは、その答えを理解するまでにその人の意識をどう変えればいいかということである。

結局、どんな心の問題であっても、本人がどの程度のところまで理解できるかが答えになるのである。

またカルマに関していうと、一般的にはカルマを持ち出す事によってそれなりの恐怖心を起こさせる事が出来る。
その恐怖心を取る事が、カルマの浄化と思っている人もいる。

しかし、私はカルマというものは、理解された知恵によって無視できることを教える。
私の話しが納得できれば、二度とつまらない思い込みに左右される事はなくなるからである。

人間の意識を分析すると、それは幾つにも重なり合った思い込みの層になる。
潜在意識の理解を邪魔しているのは、固定観念が大きく影響しているということを以前にのべた。

次回からは、今までの内容を実際に役立て、実践できるように説明していきたい。