魂との対話(2)

No. 9 魂との対話 (2)

精神世界系の本は、実にいろいろな不思議、神秘、霊、神などへ向かう道を開いてくれる。
そして、いろいろな人がその知識を自分の理解に従って、アレンジしながらさまざまなスタイルを作っている。

私がこの勉強を始めたころは、インターネットは無かったがこのような本はすでに多かった。
多かったといっても、それでも大書店を回りながら大体は目を通すことは出来た。

今はこのような本を読む必要がなくなったので、精神世界系の本がどのくらい書店に並んでいるかは知らないが、5年くらい前でもびっくりするくらいの量があったことを覚えている。

真理というものは、霊であり神そのものであるから、はっきり言ってそのような本を何十冊読んでも書いてあることはそう変わりはない。

相当な数の本を読んでいる人もいるが、そのような人には、私は霊的集中力に疑問符が出てくる。
また、秘密の言葉などが書いてある本などもあるわけはない。

もしそのような本があったとしても、それは高度な意識を通して行うものであるから、その意味を知ることや使えるようになるには当然その意識レベルに到達しなければならないということになる。

これが理解できれば、無駄な時間そしてお金を使うこともなくなるだろう。
本物の正しい意識の道を真剣に歩くことが一番の近道である。

また、ただやみくもに本を読むだけでなく、その理解が結果として自分の役に立っているという証拠の積み重ねがなければ、何を基準に自己意識を高めていいか結局また迷いの道に入り込むだけである。

秘密の言葉や方法に関しても、イエスやマスター方が、何もそれを知られないように隠していたのではない。

誰もそれを理解できる意識に至っていなければ、話しても意味がないだけである。
それを言うことが無駄というよりは、それよりその理解に至る順序があるということになる。

それを完全に自分のものにしたければ、まず自分の意識レベルを上げなさいということにつながる。
昔も今もそしてこれからも絶対変わることがないのは、すべての知恵と力は自分の意識、それも永遠に続いている霊的意識からやってくるという真実だけである。

現代はこれらのことを無視して、急ぎすぎの人を相手に何か出来るということを売り物にしている人もいる。

神秘は、物質科学が追う「だれでも簡単便利」はないのである。

人類世界の長い歴史を通して、たくさんの宗教修行者や霊的探求者が求めてきた秘密の霊的力は、はたしてどのくらいの人がどのくらいのレベルでそれを達成できただろうか。

もし、その簡単な方法があったとしたら、その方法はすでに現代、そして一般レベルまで浸透しているだろう。

今は、このような意識向上の方向でたくさんの人の意識や目が開いてきているが、この先、もう一度全体的輪廻の輪が回った頃からまた時代の大変化はやってくるだろう。

それは、人間が持っている隠れた潜在能力が、今以上に普通に顕現するようになるからである。
今は、それが普通の意識となるように、意識の準備段階ということである。

しかし、現代においても、まだこのような人間の霊的能力を疑っている人もいる。
そのような人は、人間である自分自身を無能だと自ら認めていることに気がついているのだろうか。

早く意識の目を開いてほしいと思うが、せめて心の目くらいは拡大してほしい。
精神世界系に遅れる人は、その人の意識的未来を考えた場合、大変気の毒な状態に入っていくだろう。

いろいろな角度から、精神世界自体も検証してみることは大事である。
その気になって冷静な判断を怠れば、別な方向の道に迷い込むかもしれないし、またうまくネガティブに誘導されてしまうかもしれない。

ネガティブの道を遠くまで入り、いざ振り返って戻ろうとしたとき、出口が見つからないということにもなりかねない。

そうなると、その人の人生はその中で生きるしかなくなるのである。
精神世界自体は悪いということは絶対ない。

ただ、いつの時代も人が疑いを持たない善的なものの陰に隠れて、転落の道に引きずりこもうとしている人もいるので注意が必要である。

理性、冷静、客観、識別、判断、決断、現代は我々の意識を鍛えてくれるには十分の素材がある。

我々の世界を超えたところの神秘世界には、想像を絶する不思議なことはたくさんある。
それらの神秘は、霊的法則と密接に関係があり、すべては意識向上に関連してくる。

私はその世界に触れ、それらの新しい体験は即実践を通してこの世における自分の行動に役立てるようにしている。

体験したことが、ただそれが不思議という記憶の中に留めておくことはしない。
そのような気づきは、適切な時にインスピレーション的にもたらされるものであるから、必ず意識レベルの向上ができるのもうれしい。

自分のすべての結果は、願望実現の集中やヒーリングそしてインスピレーションの引き出しなどによって、そのレベルを確認していく。

意識成長、向上の結果は、頭で何かを知ったつもりになることではなく、必ずそれらの知恵を人生のあらゆることに生かせることではじめて価値あるものとする。

どんな人にもこのことは特に強調している。
もちろん、その生かし方は意識の通る道をしっかり歩いていることが条件となる。

この大事なことを飛ばしては、どんな人もその実現は無理か相当な回り道になるだろう。
私はその道をしっかり慎重に見つめながら、たくさんの霊的推測と霊的実践を通して真実の体験を重ねてきた。

その結果は今であり、それは今の自分という事実ですべて証明する。
また、それは誰かの評価によって決まるのではなく、すべて全宇宙的意識から見た自己判断で自分を動かす。

それは、絶対に間違いないという確信によるものであるから、誰からも影響されることもないのである。

人に真実、本当の出会いが訪れるのは、その人の内に真剣な思いや熱意があるからだと思う。
もちろん、見えない気づかない前世的なことも関係することはあるだろう。

この世では、それが運とか縁という言葉になってしまうが、私はそれを自分の魂の援助として捉えている。

必要な真剣な思いは、必ず自分の求める方向に近づけてくれるものと信じている。
やはり、自分の思い次第である。

それを知らずにただ目先のものを追いかけて結果が悪ければ運が悪いとか言ってしまう人もいるが、しかしよく考えてみるとわかると思うがそれも前世意識も含めた自分の意識レベルである。

良くも悪くも輪廻転生の環境を指示するのは、自分のことを一番知っている自分の魂である。
その背後に全(神)があり、調和的に法則適用がなされるだけである。

私はほとんどの人が知らない本当に多くのことを知っている。

だからといって、何でも言うことはできない。
まず信じない、また信じられないだろう。

何故か。
その人のネガティブが邪魔しているからである。

無意識的にネガティブが自分になっていると、そのネガティブがその人にとっては真実であるから、本当のことであっても疑わなければならないという残念な意識状態になっている。

このようなことから、私が知っている本当のこと、真実は、すべて説明しなければならないものになる。
ただ、言葉でこういうものだと言うだけでは、何も理解することはできない。

今の自分自身を真実と信じている人、また疑うこともない人は、これから先も相当な苦しみと内的葛藤を繰り返すことになるだろう。

そして、大した意味もない輪廻転生を、この先もただ繰り返すだけだろう。
こう言うと、輪廻転生には意味があると反対する人もいるだろう。

そういう人の言う、その真の意味とはなんだろうか。
カルマをとるために意味あるということだろうか。

それとも真の自分に気づくためだろうか。
もし、輪廻転生に意味があるとすれば、私なら輪廻転生に意味がないといつ気づくかが、生まれ変わりの意味があると言いたくなる。

そのときに、今言ったすべて意味あることから離れられるのである。
それはいつでも出来ることであり、それがカルマを外すということにもつながるのである。

輪廻転生だけでなく、未知なるものはそれを見極める意識の位置によって、その意味はどんどん変化する。

答えは一つだが、意識向上とともに理解が大きく変わる世界に我々は生きているのである。

私が魂との対話や誘導の体験の中で、特に強い印象が意識に刻み込まれたのは、混沌を見せられたときだった。

「混沌」一体何それ?
と言われそうだが、ポジティブネガティブを真に理解、意識するにはとても大事なことである。

我々は今宇宙という3次元の世界にいる。
霊界と言われる次元は、この3次元の内的方向、要するに内に集中していく方向にあると言われているし私もそのように集中している。

我々が瞑想でする方向は、外にではなく自分の内的中心方向に集中するのである。
簡単に言えば、霊界は内側にそして一番外が宇宙となる。

これが、神の顕現、すなわち神の体である。
では、神の体の外は何かということになる。
それが、「混沌」である。

はっきり言って、表現しようのない何ものにも属さない「ある存在」、宇宙や霊界とも関係ない、まったく表現しようのない次元というしかない。

今、次元と言ったが、神が関わらなければ次元と言うこともできないというのが正しい。
これは、意識で見る以外、物質的な肉眼で見ることは出来ない。

私の神秘体験から。

私はあるとき、無意識の中で我々のいる宇宙を見せられた。
その宇宙は、宇宙写真で見るような宇宙ではない。

私はある意識状態の中で宇宙にいた。
その宇宙は星も見えていたが、すべて物質の塊という宇宙で空間というものはなかった。

そこで、私は声を聞いた。
一言、「愛を見せる」

その瞬間宇宙が上から下に向けて、鋭い刃物か何かでスパッと切られた感じでその中身を見せられた。
今となっては、その模様ははっきり覚えていないが、ただ調和的に何かが規則的に存在しているという感じだけが強く残っている。

それは、どの部分も同じ状態だった。
それから、瞬間的に宇宙の果ての近くまで移動させられ、そこでまた同じように宇宙が切られその中を見せられた。

ついさっき見たものと同じだった。
また、声が来た。
「次は、生命だ」

私がその声の方に目を向けると、四方八方に突起を出しているような光が見えた。
それは、この世で見るような光のイメージではなく、光を放つ前の「生命光」とでも表現するしかない感じだった。

その光は、ただ光であるというだけではなく、そこからは強烈な意識と絶対存在のようなものを感じた。

「すべて、知り尽くしている」といった声なき声が、このような意識の世界でありながら無意識に感じられた。

このような体験から普通の自分に戻ったとき、今見た一連の光景についていろいろ考えてみた。
精神世界や神秘学などには、宇宙の空間についていろいろなことが書かれてある。

たとえば、「宇宙はエーテルで満たされていて、空間という何も無いという状態ではない」ということなどである。

きっと私はその証拠となるようなことを見せられたと思った。
宇宙空間は、エーテルという、まだ科学でも証明されない物質、すなわち特殊な神の質料で埋め尽くされているのである。

それを私が無意識状態の中で見たのが物質状態の宇宙だったのである。
それは、この世でいう物質状態ではなく3次元を超えた意識世界に存在する質料の物質状態である。

そして、その中は宇宙のどの部分でもまったく同じ状態に保たれていたが、その質料をしっかり結び付けているのが、「愛」要するに神の原理とか法則というものではないかと考えた。

「愛」は無意識的にすべての宇宙を創っている基本物質である質量をつなげる力、地上の生物の細胞や岩石に至るその分子レベルまで、その「愛」が浸透しているのである。

質料がその愛でつながれ、そしてそこに3次元生命が入って生けるものとなる。
生命は2つ。
一つは3次元レベル、もう一つは4次元レベルである。

人間は、この二つの生命に支えられている。
こう考えると、宇宙内のすべてのものは「愛」と「生命」を初めから宿しているということになる。

それらすべての根源は、神(創造神)からの顕現ということになる。
もしこのことが正しければ、すべては善きものとなるが、しかし、この世にはネガティブがある。

私はこのネガティブがどこから来たか、それも見えない方の誘導で見せてもらえることになった。

それは、先ほど述べた宇宙を見たときからどのくらいたったかは忘れてしまったが、このような感じである。

私は、そばにいる誰か(聖者)と暗い中を通って、あるところで止まった。
その先が、宇宙の果てであることはうすうす感じてはいたが、おそらくその意識的距離は相当開いていたと思う。

そこで立ち止まっていると、宇宙の果てが開き始めた。
約5メートルくらいの宇宙の壁の窓が開いた感じであったが、その外を見たとき思わず後ずさりしたくなった。

それは体ではなく、意識自体が早くここから遠ざかりたくなるような感じになった。
「混沌」、それもかなりのフィルターをかけて見せられたはずなのに表現しようのない恐怖。

その混乱と不調和にうごめいている天地のない何のつながりも持たない動き、そしてこれまで知っているこの世のどの低級性にもない存在は、今でも忘れられないくらい恐怖そのものであった。

それを表現することは、霊界を表現するより難しいし、その中心とするところの点も表現できない。
その恐怖から離れ、普通の自分に戻ったときに全宇宙的次元について瞑想をした。

霊界、そして無限宇宙と地上の人間を眺めていると、いろいろなことが映像として頭の中に浮かんできた。

宇宙の外の「混沌」に比べて、なんと、はるかに宇宙の美しいことか。
誰でも「混沌」を知れば、宇宙は神の世界、霊界の延長と思うだろう。

そして、その美しい宇宙を霊界の一つとして考えれば、我々は神の中に存在しているのである。
しかし、地上の人間にはネガティブ意識がある。

神の世界の中で、たった一つの強力なネガティブは人間の中にあるわけである。

霊的推測に入った。

宇宙のすべてのものは神を根源として存在していることを考えると、ネガティブは神からのものではないはずだ。

ということは、「混沌」の恐怖の一部が地上における人間存在の流れの起源において、人間意識に影響
したということか。

エデンの園から追放されたアダムとイブの話は、そのころのネガティブに影響された人間を物語的に言っているのか。

それは、どうして影響されたかは分からないが、その「混沌」の恐怖の一部であるネガティブしか、それ以外人間にネガティブの影響を与えるものはどこにもないはずである。

もともと、人間にはネガティブがなかった。
「私たちは、神である」ということは、精神世界や神秘系の本に書いてある。

しかし、それに対する説明は非常に難しいだろう。
誰かがその気になってこのような言葉を言っても、聞く側にとってはその人の意識の背後にむなしさだけが感じる。

本当の意味はこういうことなんだ。
我々は何らかの原因でネガティブに影響され、もともと神であったところから神性意識を失ったのだ。

輪廻転生を繰り返しているのは、神である意識の記憶喪失状態にあるからだ。
真に求めている人間の姿が見えだしてきた。

自分が全人生をかけてまで知りたいと求めてきた自分の本当の姿と意識がより明確になってきた。
子供のころから何かを感じ、そして覚悟を決めて目指してきた道は、魂や聖者方のいろいろな援助で確実なものになった。

ポジティブネガティブの本当の意味を知ることが、ずべての意識成長のカギであることも絶対的確信になった。

それによってのみ、自分の苦しい悩みごとから解放されていくのだ。
本当のこと以外は、すべてその場しのぎで一時的なものに過ぎないこともつくづく思い知らされた。

厳しかったが、もっと深い本質を得るために私はさらに無意識の中を進みたくなった。

これらの知恵は私自身の無意識に動く根本かつ中心的活動の原動力である。
それはどんなことにでも使える自己意識の中心のまたその芯とも言えるものである。

次回は、無意識の中で知った「霊的法則」について簡単なところを述べてみたいと思うが、もう少し潜在意識的力の顕現の基本となることを話しておきたい。

ポジティブネガティブの真意は、今述べた宇宙的で見たことのずっと前にインスピレーションとして私にもたらされた。

それは、10年以上も前になるが、現在それを基本として行なっているのが「ネガティブ意識解消療法」でコア・トランスフォーメーションである。

コア・トランスフォーメーションは、本に書いてあること以上に教えることができるのも、すべてこのような体験があったからである。

コア・トランスフォーメーションのコアステートについては、次回いろいろと説明するが、それはどんな人も一度は体験できるとすばらしいものである。

私がこれまでやってきたことは、人間の本質を根源的なところから分析して見つめてきたことである。
人間の意識に関しては、よほど精神が重い病気でない限り大体は分析可能である。

ポジティブ意識は単純で簡単であり、美しい意識であるから何にも問題はない。
ネガティブがすべての問題となる原因である。

それは、物質的欲と絡んで分裂に分裂を繰り返し、すべてを複雑にしていく。
挙句の果て、自分自身でさえ手に負えないくらいネガティブに苦しめられる。

その複合的な心因は、前世意識まで関係している。
現代起きている悲しい事件やわけの分からない精神状態での犯罪は、そのすべては本人の過去世意識の現れも大きく影響している。

また、人類がいまだ経験したことのない意識状態に入ってきているのも誰も気づかない。
それが良い方向であれば問題ないが、ネガティブに表現されると大変つらい苦しみとなる。

人類がいまだ経験していない意識は、誰もそれを理解できないということになる。
本人もそれが自分の一部とは思えないかもしれない。

そうなると、今ある心理療法ではほとんど効果は出しにくい。
このことに、まだ気づいている人はほとんどいないだろう。

その意識や知恵は、すべて自分や人に役立つものだけを研究してきた。
誰かに評価されることなどはあまり興味ないし、またとんでもないことが出来たとしても見せ物にはなりたくもない。

本質、真実の世界に入っていければ、これほど楽しいことはない。
私もまだまだ成長段階であるが、意識的にはこのような段階にいる。

たとえばヒーリングに関して言うと、その次元の意識に集中しそれと一体になるように同調するだけ
で、「病気を治す力」が自動的に働いてくれる。えるようなものである。

そうなれば、私は何も考えることもなくただその中にいるだけで何もしなくていいのである。
「気」も「パワー」も「イメージ」もこの次元ではすべて邪魔である。

この方法は、この世では最高レベルのヒーリング方法に違いないはずである。
また、この意識はまだまだ先があるので、当然意識の進化とともにこのヒーリングも進化していく。

このようなことを私のヒーリング方法として説明したとしても誰も信じないので、ただ「病気を治す力」に任せてその力はどいうものかは知らないというほかない。

私は無意識であっても、その力が自分とは違う意識で動いているのを感じることは出来る。
そして、いずれその意識と一体となったとき真の自分自身の完成となるのである。

本来どんな人間にもある潜在意識から展開する神的能力は、自分の意識では証拠として感じられるものである。

しかし、その意識は人に説明して伝えることは出来ないのである。
人それぞれが最後は一人、自分の力で進むしかないということになる。

それは、どんな人にもいずれ必ず決断のときがやってくる。
そのときでは遅い、だから今から意識の訓練をするのである。

ポジティブ意識。

この意識の力が、ヒーリングのほかにその証拠としてよく分かることを最近発見した。
今私は天然石で作ったブレスレットに自分の超ポジティブ意識を入れて販売しようと考えている。

オリジナル護符も相当な力を持っているが、このブレスレットの石も今ある私の最高意識で振動化して行こうと考えている。

こうした中でも不思議なことが起こっている。
私が超ポジティブ意識でその振動を石に入れると、石自体が透明感や輝きが増してくるのである。

曇った水晶などはすぐにそれが分かるので、それが本当かどうかは判断しやすい。
いろいろな人の水晶や天然石で試して、すでに変わっている事実があるのでこのことにはもう疑う余地はないのである。

10分くらいポジティブ振動を入れれば、ある程度の変化は現れるのである。
病気の人が健康になって生き生きするように、まるで石に生命が入ったように輝きが変わってくる。

超ポジティブ意識から出るポジティブ振動は、人間の病気も石もいい方向に変化させる力である。
出来れば、どんな人もこの方向に向かってほしいと願っている。

なぜなら、この方が絶対楽だからである。