七 光 導
No. 17 隠れた意識
私の若い頃、読心術が一時ブームになったが、今はどうなのだろうか。
人の心を読むというのは、その言葉のニュアンスからあまりいい感じはしないが、でも必要なこともある。
お互いの心が理解し合えるとか、またどちらかが理解してあげることができれば、少しは現代に欠けてきている人間性を取り戻すことが出来るかも知れない。
この世は、人と人との関係で成り立っているというのが大部分である。
ちょっとした気持ちの行き違いで悩みに発展するということもあるので、人の心、意識を知るということは大切である。
人と会うにも、それも初対面というのは、結構お互いに気を使うものであり、その分精神的負担もあり疲れるだろう。
それは、私の行なっている仕事にも言える。
心の問題解決や意識レベルに関するものであるから、余計に早くクライアントさんの意識を理解することが大事である。
早く相手の方の意識を把握することが、早い解決、方向性の発見に結び付けやすいということは言うまでもない。
ただ、私が相手の方の深い意識を分かったとしても、それでスムーズにいくかと言うとそうでもないのである。
私が指摘したその人の隠れた意識、潜在意識は、本人が自分の意識であってもピンと来ない場合もあるからである。
そういう時は、逆にブレーキがかかったように、次に進めるにも大きな軌道修正が必要となり時間のロスになることもあった。
単純にその人の問題意識だけに焦点をあてて進めれば何とかなるというものでもない。
初対面であれば、なおさら自分を出しにくいということもあるからである。
そこで、どうしたらいいか、何かいいクッション的なものはないかと長い間考えていた。
そして閃いた。
それが、今行なっている占星術の活用でホロスコープの解読である。
このホロスコープ活用は、その人の隠れた意識を確認してもらうという目的なので、何かを占うということは絶対やらないし、また私自身も占うことは大して意味のあることだとも思っていない。
自分の生年月日、生まれた場所、生まれた時間が分れば、その人に役立つかなり深い意識がわかる。
ホロスコープをどのように活用しているかは後で説明するとして、私が占星術を勉強してどのようなことに気づいたかを先に述べてみたい。
20代の頃の私は、占いというものに少しは興味があった。
若い頃なら、ほとんどの人が占いに興味があったと思うが、特に女性だとその数もグンと増えるだろう。
不思議大好き、不思議が当たり前の自分も、自分の未来がどうなるかということだけは興味があった。
自分の未来がどうなるかは誰でも興味あることだと思うが。
私も2,3種類の占いの本を読んで見たが、当時の自分の意識ではまったく理解できなかった。
手相を見るというのは少し突っ込んでやってみたが、やはり躓いた。
20代では、人の心、意識というものがはっきり分からなかったからである。
占いをやるにしても、人の心、意識は知っておかなければ話にならないだろう。
今は、占いというものがどういうものであるかに気づいたので、それを知らないで占いを勉強している人は大変だと思っている。
私が占星術を研究しようとしたきっかけは、クライアントさんに早く自分の意識に気づいてもらうためである。
セッションを進めるにしても、そのほうが効率いいので、私の考えではお互いにプラスに働くと考えている。
普通リーディングと言って、その人の隠れた意識を読む方法、他で行なうのはテクニックか直感かは分からないがそのようなものがある。
私は特にそのようなことをしなくても、無意識の中でその人のいろいろな意識が自動的に出て来るので、それを頼りにセッションを進めている。
しかし、私が理解している相手の深い部分の意識は、自分のことであっても本人がまだ気づいていないこともある。
早く自分の意識に気づいてくれると問題解決も早いので、そのことに触れたこともあったが、逆に私が間違ったことを言っているという雰囲気になるときもあった。
どうしたらこの部分を埋められるか、本人の意識を少しでも気づかせるようにはできないかと考えた。
そこで、浮かんだのが占星術というわけである。
そのときは、人の性質とか性格を当てるのだから、少しは使えるかもしれないといった程度だった。
それで、2種類の占星術の本を買い、また、ネットでもいろいろ検索しながら資料を集めて勉強をしてみた。
大体の占星術の雰囲気は分かった。
結構いろいろな用語もあり、かなり細かく分けて覚えて行かなければならないので、一言で占星術と言っても結構大変なものだとわかった。
その他では、占星術の中にもいろいろな方法があることも、始めて知った。
こう考えると、世界中、また日本だけ見ても本当にいろいろな占い方法があるものである。
私は2ヶ月半くらい、他のことは後回しにして、集中的に占星術だけを研究をした。
始めて占星術を意識的に研究した結果、占い全体のことまで把握できるようになった。
今まで知らなかったことがよく見えてきた。結論から言えば、うんざりした。
何故うんざりしたか、私は潜在意識から無意識そして霊的意識、それに霊的法則や前世意識まで加えて、人間意識を分析する。
その観点から、占星術の解読であってもより精度を上げようと研究するのは、当然な私流のやり方である。
しかし、占星術研究に深く入って行けば行くほど、いろいろな人のやり方を参考にすればするほど、ますます混乱していった。
最後は、とうとう空中分解寸前までいった。 心身とも、すべてが疲れきったという感じだった。
いつも付きまとう曖昧模糊とした表現、占いだから仕方ないと言えばそれまでだが、だったらテレビなどでやっているような確信に満ちた言い方は何だとなる。
私が勉強したのは占星術だが、占い全体はこういうものだろうと感じた。
それで、占星術の研究は止めた。
私がそれまで占星術を研究してみてその率直な感想は、よくこんなもので人の大事な未来を言うことができるな、信じられないであった。
何で素人(私)が2ヶ月半くらいの研究で占星術のことがわかったと言えるのか。
これは、占星術や占いを研究している人なら思うかもしれないので、今度はそれを分析してみたい。
占星術を研究した、私自身の分析である。
占いに興味がない人もいるかもしれないが、私の考え、読み方を知るだけでもおもしろいかもしれないので、最後まで読んでほしい。
一般人、または素人というレベルの人が、占いを勉強するところから話してみよう。
もちろん、占星術、占いに関しては、私もこの中の一人であった。
本当に占星術に関しては何も知らない状態だった。
ただし、他の人とは大きく違う点が一つあった。
それは、意識、霊的理解に関しては、レベルが違いすぎるということである。
これは高慢ではなく、自らを冷静に客観的に分析してそう確信し、これが絶対的真実でなければ後々問題になる。
占いを勉強するとは、人の悩みごとを聞くということであり、当然人間相手である以上、心、意識に関する理解も必要である。
これはどんな占いにも当てはまる基本的なことである。
しかし最初は、占星術用語やホロスコープ解読の手順を勉強し、それから徐々にいろいろな解読テクニックを覚えていかなければならない。
これに慣れてくれば、当然占術である以上、さらに正確なまた高いレベルでの読みも出来るようになりたくなるだろう。
何年か、半年でも1年でもそれ以上でも占いの勉強が落ち着いてくれば、次は人の心や意識の勉強に入らなくてはならないだろう。
心理も知らない人に占ってもらいたいという人はいないと思うし、また占ってもらってもチグハグな感じになると思うのだが。
人間の意識は一人一人違うのであるから、また同じような悩みであっても、潜在的には違ったものとなる。
意識は神秘である。そして非常に複雑でもある。
占ってもらうなら、このようなことを知っている占い師の方がより的中率も高くなるということは理解できるはずである。
しかし、あまり占い師の意識レベルは問題にしていないのが、不思議でもある。
結局、占いの勉強をしても最後は心理、意識、神秘の勉強は必要になる、また高いレベルを目指すならやらなければならないだろう。
占い素人が、占星術の勉強をしても、一人前になるまでには占いと言えど何年も時間がかかるものなのである。
これでも分かると思うが、簡単にできると言って人集めするものもあるが、本当に出来るのかと思うだろう。
それは本当である。簡単にできるのである。 誰もが簡単にできる程度のものは、簡単にできるということである。
話がそれたが、私が2ヶ月ちょっとで占星術の実態を完全に把握できたのは、すべての意識理解のもとで占星術を分析研究したからである。
その結果、やればやるほど、混乱するのみ。
何故、混乱していくのか、あるレベルから無いことを有るにして話をしようとするからである。
未だ、来てもいない未来で話す、起きてもいないことを起きてしまうように話す、これである。
だから占いと言ってしまえばそれまでだが、だったら何故人はその占断結果を気にするのかとなる。
その占断がポジティブなことであれば、ニコニコしながら「まさか・・」と笑いながら喜んでいられるかもしれない。
だったら、逆にネガティブなことだったらどうだろうか、「ぜんぜん気にしない」これも表向きは笑っていられるかもしれないが、果たして心中はである。
ここに、占いの怖さがあるのである。
どんなことでも、少しでも気になる人は、遊び感覚でも占ってもらうことはすべきではない。
それは、潜在意識に絡んでくるものであり、無意識レベルで影響を受けてしまうからである。
私はこれまで何回も書いてきているが、この世はネガティブであり、ほとんどの人はそのネガティブが当たり前という感覚の中で生きている。
そういう感覚で生きているので、占いでポジティブなことを言われれば一応は喜ぶが、素直に喜べるか疑心は全然ないかとなる。
逆にネガティブなことを言われれば、類は友を呼ぶで、すぐ反応する。
心配不安が潜在意識にインプット。
潜在意識にインプットするのは、何も願望実現のときだけではない。
人の潜在意識は、ネガティブの方がよりインプットしやすいのである。
あなたが事業をしているなら、将来傾く危機が来るから注意、あなたが健康なら、将来癌になりやすいから注意、あなたに恋人がいるなら、相性的によくない、と言われたら、それでも全然気にしないだろうか。
気にならないのは当然という人も、今はそんな感じがないからかもしれない。
もし、あなたの体調が悪くなりはじめたら、もしかしたら・・・、もし、あなたの恋人と婚約後に大喧嘩したら、もしかしたら・・・。
そのとき、やっとネガティブにインプットされた潜在意識が働き始めるときが来たとなる。
考えすぎ、余計な思い込み、取り越し苦労が始まる。
心配不安で、あなたの心は普通ではないことを考えるようになることも。
やっぱり、あの時占いで言われたことが、そうなるのか・・・、当っているのか・・・。
もし、占ってもらっていなければ、余計なネガティブな潜在意識も働くこともないのに。
願望実現ではないが、ネガティブな思いが実現しやすくなっていく。
我々が知らない、ネガティブにも潜在意識の調整というものがある。
人はこのネガティブにはまったら、後は坂道を下るだけ、転がっていくだけ、どうにもできない。
占いを全然気にしない人には関係ないかもしれないが、だったら何で占ってもらうのとなる。
やはり、どこかで何かを期待、または気にしているのかもしれない。
もし、占いというものの歴史が浅ければ、それほど潜在意識に作用することはないだろう。
しかし、占いは歴史が古い。
何らかの形で古代から受け継がれてきた占いというものが、人類の進化と共に忘れ去られずに今に至っている。
そこに、人の意識が恐れる、何か簡単に割り切れない捨てられない、潜在意識で反応するものがあるのだ。
しかし、未来はまだ来ていない、人生何が起こるかわからない、それが自分の意識次第、努力次第で変えられる。
占いは統計的な面があるから未来は過去そのものではない、となる。
しかし、因果法則があるからそれは出て来る可能性もある。
このことについては後で説明するが、自分の運命支配者は自分であるか、それとも占いの結果であるかだ。
私の研究した占星術のホロスコープの見方である。
占い的なこととはまったく離れた見方をしている。
2ヶ月半くらい占星術の勉強をしてみたが、結果自分のセッションには、使いものにならないと判断した。
では、どうしたらいいか、また悩んで数日間考え込んだ。
すでに未熟な時点で自分のホロスコープは解読していたが、また何となく自分のホロスコープを見ていた。
そしてじっくり何かを感じていたようだ。
「そうか、意識だ。意識で見るしかない。自分はどうだったか、どういう意識だったか」
こんな感じが自然に内から出てきた。
「当っている、そのまま自分の過去の意識が出ている。この方法でいいんだ」
それから、私は2日かけて、12星座の一つ一つにこれに10天体の一つずつを入れて、それを自分の潜在意識に焦点を合わせ全部で120通りの組み合わせによる意識、性格を書き出してみた。
まだ、このときに作ったものを使っているが、もう少し手を加えて研究すればもっと精度も上がると思っているが、なかなかそのヒマもない。
あとは、自分なりに研究した意識の表れかたなども参考にして解読している。
占星術で使う細かいことは、ただ混乱する可能性があるので一切使っていない。
何故なら、未来がどうのこうのではないからである。
どうして今苦しんでいるか、あなたはどんな意識の組合わせで生まれてきたか、ネガティブとしてあなたの足を引っ張るものは何か、現世的にあなたに影響を及ぼしているネガティブはどういうものか、本来あなたのいいところは何か、全体として何を注意してこれからの人生を生きていけばいいか、など、その他にもネガティブを中心として分析していく。
何故、ネガティブ中心なのか、人間本来はネガティブだからである。
そのネガティブに自分の自由を邪魔されるのであるから、そのネガティブがどいうものかに気づき、それに左右されない自分になっていくことが、自分の未来を作り上げることにつながる。
このようなことを重点に、深い本質的理解と共に自分を変えていくしかないだろうと考えている。
黙って寝ていて、自動的に幸せな未来がやってくるのは、百万人に一人くらいはいるかもしれないが。
「あなたはその中の一人です」、とは占いでも出ないだろう。
私のホロスコープ解読は、本人の隠れた意識を探し出し、最終的に自分のホロスコープにあるネガティブ性から抜け出すことを目的として活用している。
最終的に自分のホロスコープから抜け出すとはどういう意味かと言うと、生まれたときの星座と天体の位置は、その人の過去世でのカルマや善い報いが無意識的に現世の自分に引き継がれて出されたものとして読んでいく。
私の考えは、ホロスコープは未来を読むものではなく、自分の過去世全体か前世の意識から現世における自分の方向性や意識的気づきにつながるものを読むためのものとしている。
もし、このことが高い確率で的中するなら、自分の将来は変更可能なのである。
それは自分自身の過去世意識の記録が出生時に、この人生の気づきとしてホロスコープに刻まれたもので、自分のこの世を生きる経験の道として活用すべきものとしてあると考えている。
ネガティブ意識が自分にあることは、本人なら分かるし、また深いネガティブであれば必ず何らかの意識的違和感を感じるだろう。
ネガティブ解消は、カルマ解消でもある。
カルマは過去世のもので、現世で作った原因はまとめて来世に持ち越すことを考えれば、今何をするべきかが分かるはずである。
こう考えれば、カルマを取り除くことが生まれ変わりする意味であり、それはネガティブを取ることだということも納得いくはずである。
今生においてカルマをとることは出来ないとなれば、今生だけでなく人は生まれ変わりしても何の意味もないとなる。
生まれ変わりするたびに、カルマだけが上積みされるというのは誰が考えてもおかしいことである。
自分のホロスコープを見ても隠れた自分の意識が分からなければ、それは流されていく人生、要するに過去の意識を引きずったまま、ホロスコープに出ている過去のままの意識的自分を生きることと大して変わりないということになる。
それが、霊視、霊感などで使われる本人の意識的波動に書かれてある過去の意識なのである。
それを敏感に意識の中で感じられる人は、それをイメージ化して将来どうなると言っているのかもしれない。
私も、その人の意識が変わらなければ、ホロスコープを見てある程度その人の将来は予測つく。
ある面それは当然で、それほど大きく間違えることもないだろうと思っている。
自分の生き方、物事を表現する前に、意識ありである。
意識の前、その前には何があるというのだろうか。
やはりホロスコープ活用は、単なる自分の都合だけを優先する見方よりは、意識向上として活用した方が納得がいく。
自分の将来、未来を変えるには、自分にあるネガティブ意識を知ること、そしてポジティブに改善していくことで自分の運命を変えられるとなる。
占いだけに頼っていく人生は、もしその人が生まれ変わったら、子供の頃から何かに依存しなければ生きられない自分という性質が出てくるだろう。
自分の欠点、ネガティブ性をしっかり見つめ、それをポジティブに変換して行きながらいろいろな人生を経験していく。
人生経験を積むことによって、ネガティブをポジティブに変えようとする努力によって、意識向上のための智恵もどんどんついてくるのである。
目先の安定、いろいろな災いを回避、世の中をうまく生きていくためだけに、そのようなことをすり抜けて通るためだけに、占いで出たとおりに動く人生は、いざというとき、とっさに判断できる智恵がつかないようにする生きかたである。
もし、将来何々が起こるからそれを避けて通れるといったことが占いで出来るとしたら、それは自分が出会うネガティブ意識の解消とはならないので、それは形を変えていつの日にか大きなつらいお土産つきで受け取らなければならないことになる。
それはいつかは分からないが、自分のやった結果で自分のものである。よくよく、考えてみれば分かることである。
占いはこの先も残っていくと思うが、もう少し、意識成長のための占いというように形を変えて行けばいいと思うのだが。
これも、それぞれの人の意識レベル次第である。
その意識レベル全体が、今の時代として表現されているのである。