時間の壁

No. 15 時間の壁

今回の内容は無意識についてだが、神秘不思議の中でもあまり知られていないことなので初めて知る世界という人もいるだろう。

こういう世界もあるのかでいいが、知っておけば自分の意識の世界も広がっていくだろう。

また、これ以上の神秘世界の話になると、私としても言葉で表現することに困難を感じるので、今回で終了ということで次回からは潜在意識までの話にしたい。

時間の壁とは、簡単に言えば人間の思考の限界である。

その知られざる境界線の向こう側には、人間感覚では触れられない世界が存在しているのであり、その世界は霊的世界である。

この霊的世界は、無意識、魂、神、霊界、という真理の世界で、それを隔てる時間の壁とは、次元の違いとかその振動率の違いとも言える。

顕現、振動の表現は意識であり、それはどの次元でも、その場の存在を固定させるものである。

時間の壁を超えられるのは、それに同調できる意識か無意識であり、それより低いこの世界の意識に束縛されている限りは、当然この世界から抜け出すことが不可能ということになる。

普通に勉強している人はここまで考える必要はないが、ただ精神世界系で出てくることやいろいろな潜在能力開発で言われていることをこのレベルから分析していけば、少なくてもいろいろとおかしい部分に気づくことが出来るのも事実である。

その一つに、ありもしないもので行なう心理療法も多くなって来ている。
習うのは簡単、そしてすぐ出来るからだと思うが、人の意識を知らないものだけがやる療法である。

今ある精神世界系で説明していることは、誰が作ったのかは知らないが、おかしいを通り越してあきれるものが多い。

人の意識もどんどん低い方へ流れて来ているので、何とか本当のことを知っている人がたくさん出てきてくれなければ、次の子供たちまでおかしくさせられてしまうのである。

話を戻して、人がどんな方法を駆使しても、考え抜いても、思考の限界がある以上、絶対本質を見ることも知ることも感じることも出来ないということである。

この世での探求は、まずその壁にどこまで近づいて行けるかである。
それは、次元の違いとかこの世との時間の質の違いを考えるだけでも、納得できることである。

そこからは、そこを動ける意識だけが感じていける未知なる世界である。
このようなことは、我々の生活には全く関係ないことであるが、自己意識の進化を考える場合、その方向や道とか意識の構造をより理解納得するためには必要なことである。

確かに、現在の精神世界系や宗教では、このようなことを教えるところまでは行っていないが、将来的には何らかの教えで、このような方向に入らざるを得ないだろう。

このようなことが、たとえ難しい神秘の本に書かれてあったとしても、それを自分のものにするには、やはりそこまで行くための意識の道、その意識を理解しやすく解説された道も含めて、それは必ず通らなければならないのである。

ということは、この高い意識レベルの理解は、ネガティブ意識の人には、どんなことをしても無理ということになる。

これが霊的法則であるから、それを払拭したければ、まずポジティブ方向というのが順序である。
だから、ネガティブは絶対に高級振動を支配するどころか、近づくことさえ出来ないのである。

ネガティブはどこまで行ってもネガティブの中で、這いずり回るしかないのである。
単純に、早く自分のポジティブ意識の道に入った方が、自分の未来も早く開けるということである。

意識の不思議さは、限界内にいるだけでは、また限界内から見ているだけではわからない。
その判断は、いつも物質的世界の印象や記憶の反応でしかないからである。

また、未知なる意識というものは、想像やイメージなど、仮にそれに似たようなものであっても体験できるものではない。

何故なら、波動とか振動の違うものに触れたくても触れられない自分がいるからである。
それが、今の自分の意識振動だからである。

どんな優秀な人間も科学も、どうしてこれらの意識からなるものを否定できるのだろうか。
今の科学がどんなすばらしい状態かは知らないが、100年後の未来から現在の科学レベルを見れば、子供のお遊び程度かもしれない。

科学的進化がある時点でストップすることがなければ、科学の宇宙法則活用を考えれば、科学が求める究極の方向もどんなものかは見当がつくはずである。

科学であっても、この宇宙内のものや法則の利用である。
自然から出てきた人類、その人類から作られた文明、どんなにがんばってみてもすべて宇宙内のものだ。

その背後は、霊、霊的質料と魂意識の世界。
科学で証明されていないものは認められない、信じることが出来ない、という人の心は、2次元の世界に生きているのか。

そんな人は、意識的高さのない世界に生きているのだろう。

話が反れてしまったが、時間の壁についてもう少し説明してみたい。
私の自己紹介の中で、「私の探究してきた意識の道」でも書いてあるが、時間の壁を意識できたのは、自分の前に立ちはだかった意識の壁を感じたからである。

正確には、無意識の世界を意識し始めたことがきっかけであるが、どちらも同じようなことかもしれない。

まず、その壁に入っていくためには、潜在意識の深奥から無意識を進むという段階を通らなければならない。

その訓練を始めようと思ったときのことである。
無意識方向という自分の意識の進む道は分かったとしても、次だ、

「どうやって、どうすればいいんだ」
これも、また大きな壁である。

よく、「無になれ」という人もいるが、どんな風に、どんな意識で無になるかは言わない。
質問すれば、おそらく自分で考えろというだけだろう。

自分で考えるにしても、どのようにして考えるか、またどのようにして向き合うか、その意識の説明を出来ない者は、本当は知らないのだと受け取った方がネガティブの深みに入ることもなくなるだろう。

次元の違う意識、振動は、今の意識状態のままでお互いの場に移動することはできない。
まったく異なる振動世界を、一つの意識振動で自由に移動可能であれば次元の法則は無くなる。

問題は、上位の霊的次元にある意識ではなく、我々の意識をどうするかにある。
要するに、この世の意識では、次の次元には入って行けないということである。

この世の意識のすべてを置き、無意識レベルで触れる。
この世の意識とは、それは観念、記憶、そして、過去世意識も含めて時間内で創造し蓄積されたもの。

何にでも言えることだが、最初は思考、イメージで自分の意識方向の枠を作らなければならない。
私は何度も、イメージ訓練を重ねながら、潜在意識から無意識へと自分の意識を解き放つ訓練をした。

このとき、それまで20年以上やってきた意識の訓練とサハスラーラの振動強化が本当に役立った。
このような訓練は、このときのために意識してやっていたわけではないが、何でもしっかりやっておけばイザというときに役立つということが実感できた。

無意識の中での同調は、いつから出来たという線は引けないが、けっこう時間はかかった。
何故時間がかかったかというと、意識化、要するに自分の潜在意識に入れてそのもので自動的に反応させるためである。

私は、このような方法で訓練して行ったが、その進み具合はどのようなものだったか。
意識の振動を知るということは簡単ではない。

その進み具合の感じとしては、一枚一枚、紙を重ねる感じで意識化していく訓練だった。
その方法やその結果が正しいかどうかは、後になって見なければわからないのであるから、慎重に進めて行かなければならなかった。

では、無意識訓練でこのような意識状態に入ったときに、どのようなことが起きたかを述べてみたい。
意識的なことなので、これもあるときから線を引いたように変わったということはなく、自然にその意識の中で変化して行ったという感じである。

その無意識の集中は、瞑想から入っていくのであるが、その瞑想は、ただ自分が気持ちよくなるためを目的とするのではなく、気づきやインスピレーションを得るために瞑想から入っていくということであ
る。

あらゆるこの世の時間的束縛から自由になるために、意識の調整をしながらその場に入る。
瞑想を始める前に、自分の知りたいことを潜在意識に集中させ、瞑想を通してそのまま無意識に移動するという感じである。

そうしていると、そのことに関するヒントや答えがやってくる。
私は、ただ黙って、それを感じているだけである。

このような感じで、3年近く、初めは少しづつだったが、あるときからその気づきやヒントは、少なくても1週に1回くらいの割りでやってきた。
多いときでは、週2,3回やってくることもあった。

私としては、大きな壁にぶつかる前までは精神世界や潜在意識の研究も結構やっていたので、また意識的な不思議体験も相当あったので、他の人よりこのような世界のことはかなり知っている部類だと思っていた。

それ以外にも、意識訓練を含め、考えられることはほとんどやっていたので、もう何も考えることもすることも無いくらいに思っていた。

ところが、この無意識状態に入れるようになってからは、つぎつぎと、これでもかというくらい、今までにない新しい気づきや答えがやってきた。

この状態の4年間くらい、その中でも約2年半くらいで、今の自分という新しい意識の土台がほとんど完成した。

そのくらい、私にとっては新鮮な毎日が続いていたし、最高の気分でいろいろなこともはかどった。

ここで、また不思議な話になるが、無意識の中での気づきの感じを述べてみたい。
無意識の中での言葉は、ただやってくるだけで私はそれをだまって聞いているだけだった。

その時間の長さは、そのときはあまり分からない。
そのときの言葉の内容は、自分の意識が反応するのでよく分かる。

そのときの言葉というものも、本当は言葉自体が来たのかどうかは断言できない。
このような言葉を受けていた期間は、すべてが新鮮に感じていた。

その間は相当な量の言葉を聞いていたし、中には驚くほどの内容もいくつかあった。
私が一番不思議に思っていることは、その内容のことである。

大きな壁にぶつかる前の約20年間の間で自分が勉強、訓練、実践してきたことや、気づきやインスピレーションなどは、自分が関わってきたことなのでそのほとんどは思い出せる。

しかし、今説明した無意識の集中で得たことは、つい最近と言える3,4年前に自分がやっていたことでありながら、そのほとんどが思い出せないのである。

本当に不思議で自分でも分からないが、そのとき何を聞いていたか、その内容や流れが思いだせないのである。

思い出せるのは、無意識に入るための意識の訓練までである。
大変すばらしいことを聞いて、喜んでいた自分は思い出せるが、その内容は思い出せないという、不思議。

私も無理して思い出さなくてもいいと思っている。
何故なら、何かを知りたいと思ったときは、自然にそのヒントや答えが内から来るからである。

おそらく、無意識の中で聞いた言葉は、私の潜在意識にインプットされているのだろう。
この世の願望実現でいう、インプットであるが、逆にそれが高いレベルから潜在意識にインプットされたということである。

本来の、我々の求める意識のあり方かもしれない。
無意識は、この世の時間とは無関係の世界であり、この世の思考や脳の記憶とも無関係なのである。

このようなことから考えても、我々は脳だけで考えている、生きているのではないということが分かる。

大発明や発見などのインスピレーションも、このような経路でやってくるのだろう。
人間は脳、心が中心というこの世界を見れば、逆に、人間はいかに限界に囲まれた精神の中で生きているということが分かると思う。

私は、このような限定的意識範囲の中で生きる自分を、自分自身として認めることはしていないし、そういう自分であることも拒否している。

今、私がいろいろな振動を中心として行なっていることは、セッションのときも、オリジナル護符を作ることも、またこのHPにあることすべてにも、この無意識からその先の次元の回路を開いた中での意識振動に同調して行なっている。

今回の話も、もっと詳しく説明すればかなり細かいところまで表現出来ると思うが、そこまで必要かどうか。

このようなことの説明は難しいので、最近までその説明はあまりして来なかった。
以前は、説明しても、疑がわれるだけだから仕方ないと思っていた。
疑われる私が大変というのではなく、疑う側が気の毒、かわいそうとしか思えない。

仕方ないことだが、早く気づけばそれだけ意識レベルも上がるのに、人であるのに、もったいないという感じである。

今まで私がいろいろと言ってきたことは、この無意識に近づくための準備をすることでもある。
そのために必要なことが、その近道がポジティブ意識というだけである。

人それぞれ、自分が信じる方向、方法で進めて行けばいいが、霊的法則から、また聖者方の言っていることを考えても、これ以外の進め方があるのだろうか。

ほとんどの人が近道を探していろいろなことに手を出しているようだが、私から見ると遠回りとしか思えないことが多い。

自分自身、自分の意識を知らずして、何かをどう可能にしようと考えているのか、ということに行き着く。

早く出来ることが先で、このようなことは後でいいと思っているかもしれないが、どちらが先ということではなく、同時進行が最良の方法なのである。