ヒーリングの心

No. 4 ヒーリングの心

私がヒーリングの訓練を始めてから現在まで約23年近くになる。
これまでを振り返ってみると、ヒーリングの訓練は同時に自己意識向上の訓練でもあった。その間、神秘的なことにも随分気づかせてもらった。

最初のころは、ヒーリング方法を教わったこともヒーリングというものも受けたことがなかったので、「気」を出せるようになるまでは試行錯誤を重ねながらの訓練で時間もかかった。

しかし、誰にも聞かなかったという点では、余計な観念を入れずに自分なりに研究できたということで、今では大正解だと思っている。

現在のヒーリング方法は、簡単に言うと「気」や「パワー」といったものを使うのではなく、無意識レベルに合わせて霊的な「病気を治す力」が自動的に働くようにその場に意識を同調するというやりかたである。

「気」や「パワー」は使わないというより、ヒーリング中はそのようなことすら意識していないといった方がいいかもしれない。

普通一般的に知られているヒーリングのレベルアップは、せいぜい「気」や「パワー」を強くすることを一生懸命やるだけである。

当然私もこの過程は経験してきた。しかし、結果的にそれには限界があることに気づいた。「パワー」を強くしても効果はそれほど上がることもなく、逆に酷い好転反応が出るというあってはならないようなことも起きた。

それより何と言っても、現在のヒーリング方法を目指すようになったきっかけは、ヒーリングでも起きた不思議なこと、自分でも信じられないような不思議な治りかたを経験したからである。

不思議な治りかたを経験するようになったのは、ヒーリング訓練を始めてから7、8年くらい経った頃からである。

未熟な自分のヒーリングでは絶対治すことが出来ない病気やケガが一瞬に治り、また急速に回復していったということを実際に経験するようになった。

それが起きる時は、いつも私が無意識状態に引き込まれた時であるが、このような治りかたが起きたときは、ある程度共通していることがあった。

どうしても治したいと思いで一生懸命ヒーリングしている。しかし、何も変わらない、もうこれ以上続けても無理とすべてのヒーリングをあきらめるが、それでも何とかならないものかと自分に集中していた。そうしていると自分でも分からないがいつの間にか無意識状態に入っていた。ハッとして自分に気づく。時間としては1分か1分半くらいだと思うが、自分としては意識がないから正確なことは分からない。

自分の意識を取り戻した後、もう一度からだの状態を調べてみると、どういう訳かつらい状態が完全に消えていたのである。それは自分以外の人でも起きた。

このようなことが何回も経験するうちに私が気づいたことは、ほとんどの病気を1,2分で変化させる力、要するに「気」とは別に何らかの力である「病気を治す力」があるということだった。

「自然治癒力」は「気」ではない。我々の体では「自然治癒力」は比較的緩やかに働くだけである。
もしこの「自然治癒力」が、急速にしかも何十倍にもなって一気に働けばどうなるだろうか。
私はこのようなことが無意識の中で行なわれていると考えた。その力とは何なのか。

1,2回であれば偶然、4,5回もあればこんなこともあるかで済まされるかもしれない。
しかし、10回以上15,6回もこのようなことを経験すれば、当然このような「病気を治す力」を探求したくなる。

ただこのような治りかたがしょっちゅうあった訳ではなく、1年に1,2回いろいろな病気で自分のヒーリングに限界を感じた時に現れた。

いざ自分がその力を探そうとしても、ヒーリングもしていない、ましてや自分の意識もないところでこのような変化が起きるわけであるから、この力が何であるかなど分かることもそのヒントすら何もない。

しかし、そのような力があるということは知った。知らなければ、どうしてヒーリングの次の段階など目指せるだろうか。

相当な意識的訓練を重ねながら10年以上この力を探求したが、結局今でもその力が何であるかということは分からない。

ただ言えることは、その力の場である無意識の場に近づくことで、かなりヒーリング能力が高まった。
そして、この方法は20年近く行なってきた「ハンドパワー」より効果、回復の早さという点でも断然レベルは上である。


このような意識的訓練でヒーリング能力は上がったが、しかしそれ以上に、その力を追い求めることで本当に大事なことに気づけたというのが自分にとって一番の大きな収穫だった。

それは、その力に至るための意識の通る道、すなわち、潜在意識の構造といったものを理解するきっかけとなったのである。

私の魂は、このことに気づかせるために私の潜在的な性質を利用した。要するに、そのために誘導したのではないかと後になってそう思えるようなった。

このような自分に対する誘導は他にもいくつかあるが、そのときは気づかなくても後になって本当にありがたいものだといつも心から感謝の念が出る。

これらのことについては、いつか「魂との対話」というテーマで書きたいと考えている。
神秘は、その本質を知らないとただ不思議で終わってしまうが、その法則を理解訓練し、そしてその意識に慣れていくと我々の日常にも役立てることができるようになる。

私は、自分の向上にも、また日常でも役に立たないものには全く興味を持たない。また、どんな神秘でも出来ると思ったことは死ぬまで追い求めるが、逆に大したことでなくても出来ない、つまらないと思ったものは初めからやらない。

また、ヒーリング伝授でも、意識レベルを上がることがヒーリング能力を上げること、そして、「気」や「パワー」などにあまり気をとられないでポジティブ意識を磨くことを強調する。

このような方向で訓練していくと、「気」によるヒーリングから潜在意識ヒーリングと段階を上げて行ける。その次は、無意識レベルのヒーリングとなる。

意識を自由に保つことができなかったり、何かに頼ったりするヒーリングをしているようでは、潜在意識に入るときにそれが障害となる。すべて、自分の内から力が出るように自分の意識を高めることである。「気」や「パワー」などは、普通でいい。それは私のヒーリング方法が証明している。


現在ヒーリングに関わっている人は本当に多くなって来ているが、ヒーリングブームに乗って「あなたも今日からヒーラー」などと簡単にヒーリングが出来るような触れ込みもある。

遠隔ヒーリングも簡単のようだが、私は直接ヒーリングより難しいと思っている。
はっきり言って、私にはこのような教えかたは出来ない。また、言う気もしない。

例えば、誰でも新しい仕事に就いた時すぐ仕事が出来るだろうか。アルバイト的な仕事ならすぐに出来なくては困るが、しっかり仕事を覚えるなら何ヶ月、まして専門的なれば何年もかかるのが普通である。

仕事は目に見えるものである。しかし、ヒーリングは目に見えない神秘な分野である。
どうして、すぐ出来るのだろうか。病気を治すということが、そんなに簡単なことなのだろうか。

これだけではない、潜在意識、願望実現などに関しても同じことが言える。
どうして、潜在意識が何であるかをはっきり知らずして、このようなことがすぐ出来るのだろうか。

そんなに簡単に出来るのなら、私もこんなに苦労することはなかっただろうと思っている。
「ヒーリングの心」この自覚なくしてはやれない。

このような状態が続けば現在広がっているヒーリングも、いずれ信頼という点で壊れるかもしれない。
その時、新たに本物のヒーリングを見分ける意識が一般にも広がっていくことを私は望んでいる。

ヒーリングの基本は、自分を一生健康に保ち、同時に家族や身近な人の健康も守っていくことにある。
そのようのことをしばらく訓練して、初めて他の人にヒーリングしてあげられるようになる。

家族や身近な人にヒーリングしてあげることで、「ヒーリングの心」が養われていく。
私自身も、最初からヒーリングの仕事をすることを目指したわけではなかった。

自分の一生の健康、そして体があまり丈夫でない母の健康を守るために始めた。
自分においても、ヒーリングの訓練を始めてからこれまでの23年間、どんな病気のときも薬は飲んだことはない。

大変なこともあったが、病気を治す訓練としてすべて自分で治してきた。大病はしたことはないが、実にいろいろと体の不調があった。このような思いで訓練している間に、不思議な治りかたを経験するようになったのである。

いろいろな意識的訓練を通して生命力にも集中することができるようになった。この先、もし生命力を入れられなくなることがあれば、死も早いだろうと自分では感じている。


人間、歳をとるということは老化していくことだ。いろいろな体の障害も出てくる。
身内はもちろん、特に、体の丈夫でない母が万が一病院でもどうにもならないような病気になったとき、私は何もできない自分ということを恐れた。

ヒーリング覚え始めの頃の私は、母の体を考えると、いずれこのようなことが来るだろうと思っていた。
そのためにも一生懸命、ヒーリングを勉強したのである。

両親は60歳を過ぎた頃からいろいろと不調が出たり、病気になったりしていった。
私はその病気をすべて治してきた。母に関しては、病院の治療だけでは今頃寝たきりの人生とまで言っていたが、私もそのとおりだと思っている。

7年くらい前から、両親に意識的霊的なことを意識向上のために教え始めた。
その頃の両親の年齢は、母は65歳、父は71歳であった。

二人は自分たちの病気が私に治されてきたという事実があるので、特に頑固な父も素直に勉強をし、その歳で自分を見つめ欠点を変えて行った。

私はその歳で自分を変えていく父に少し驚いたが、内心うれしかった。
あとは、死後における自分たちの意識のあり方とその方向性の決めかたを話すだけであった。

最後の親孝行として、一番大事なことを何も知らずに死んでいくことだけはないように、いつか話さなければと思っていた。

この人生が輪廻転生の中の単なる一つの忘れ去られる記憶の影で終わらせることのないように、出来る限り次の世界のことを潜在意識に定着させなければならないと考えていた。

しかし、両親の歳を考えると、死について考えさせることは死を意識させるようで正直どう話すか難しいことだった。

去年の10月頃、母には、来年に入ったらまた電話でいろいろな話をしていくということは言っておいた。
ところが、それから2ヶ月くらい経った12月21日に、母は脳内出血で倒れてしまった。

その知らせを知ったのは、携帯も切った状態だったので、留守電でしかも半日以上も経っていた。
半日以上過ぎていたので、これでは何も出来ない遅すぎる手遅れだ、と思いかなりショックだった。

早速、妹に電話をして状態を聞いた。「今、集中治療室にいるからはっきりとしたことは分からない」という返事。

電話を切ってすぐ、私は深く集中して自分の魂に語りかけた。

「知ってのとおり母は脳内出血で集中治療室にいる。私はどうしても母に死後の世界やもう一度大事な話しをしてあげたい。この人生で、せっかく私という子どもがいるのだからもう一度チャンスを与えて欲しい。もし、この人生で母がそれを知る意義があるのなら、半身のマヒが少し残っても、頭だけは私の話を理解できるように守って欲しい。母にその話しができるということは、頭は大丈夫ということになるが、それでいいですか、教えてください」

そのように祈った後、私は無意識の中でその返事を待った。
すぐに非常にいい感じの振動がやってきた。何とも言えないやさしい感じ、軽くさわやかな感じを感じた。

それから、少し意識を自分に戻して見ると、心配不安の感じが無い。不思議な感じだ。普通であれば、心配不安でいっぱいのはずだが、その感じが無い。ネガティブな思いが圧倒的なポジティブ力によって消されてしまうという意識の不思議さをまた感じた。 「ありがとう、いつも感謝しています」と意識的一体感を振動で表現し、すぐに妹、それから父に電話した。

「心配するな、すべて俺に任せておけ。病院がびっくりするような回復をするから大丈夫だ。余計な心配だけはするな」
そう言われても、妹や父は素直に受け止めることができないのは仕方ない。

命には別状はないということで、また集中治療室での面会は30分ということなので、私が病院に行っても何も出来ないのでとりあえず一般病室に移るまで病院に行くのを待った。
私は北海道生まれで、両親は今も北海道に住んでいる。

しかし、なかなか一般病室には移らない。母を見ている妹の話では、左足は動かない、左手は少しだけ動く、訳のわからないことを言う、目の焦点も定まっていない、妹は母が自分のことが誰か分かっていないときもあるなど、報告してくることは悲観的なことばかりだった。

それでも、母のいろいろな体の状態を妹から聞いて、それに対して遠隔ヒーリングを続けた。
20日間も集中治療室にいて、やっと一般病室に移った。

私としては、何でこんなに集中治療室にいなくてはならないのかと疑問に思っていた。
魂からの答えと、妹の報告や集中治療室にいた期間を考えると、あまりにも差があることにちょっと戸惑ったが、私は自分の魂のことは第一なのでそれを疑うことはしなかった。

妹や看護婦さんの言うことは参考程度にして、自分が病院に行って直接母にあったときの波動を読んですべてを判断しようと考えていた。


一般病室に移って10日後に、私は日帰りで母に会いに行った。
4人部屋の病室であったが、母はちょうどトイレに行っていた。看護婦さんの押す車椅子で母が帰ってきた。

私は母と顔が合った時の一瞬ですべてを感じ取ろうとして、自分からは一言も言わずにベッドのそばで妹の横に立っていた。

母が私の方を見た。その瞬間、母は大粒の涙を流した。そして一言「来てくれたの」。
私はその一瞬ですべての波動を感じとった。意識の潜在的反応OK,肉体活力波動OK、生命力波動OK。これだけですべて大丈夫、早く元に戻る可能性大という判断をした。

このとき生命力波動が2,30パーセントでも落ちていたなら、かなりのショックを受けていたと思う。
それは、生命力の回路が閉ざされていることになり、頭の働きや活力が年齢からして元に戻すことは困難になるからである。

ベッドに戻らずそのまま面会用の部屋に行っていろいろな話をした。見た感じでは左手は動きは悪い、指も親指人差し指が動く程度、足はあまり動く様子も無い。意識はある程度しっかりしているが、それでもすっきりとした感じではなかった。母が元気を戻せるように今回の病気のことを話してあげた。

「魂に聞いてみたよ。急にこんなことになってしまったが、何も心配ないよ。今回脳がやられたところは、昔の嫌な思い出や印象のあるところだよ。今までちゃんと勉強していたから、ちょっと大変だったけど、もういらない嫌な記憶を消してくれたんだよ。無理に思い出さなくても生活には何の支障もないから。これからは気持ちよく生きて行けばいいんだよ。また、いろいろな話をするから楽しみにしてい
て」

母はリラックスしてこの言葉を受け止めていた。
そこでしばらく話をしてから病室のベッドに戻り、またベッドのそばで早く手足が動かせるように、母の潜在意識に合わせていろいろな話をしながら誘導してみた。

その誘導は、過去に自分が散々苦しんだ病気を私とともに治してきた方法やそれが治った時の喜びなどである。

そのような話しをしているうちに、母は左手を動かし始めた。そしてすべての指を動かし始めた。腕も自由に動く。

足の話しになると、両膝を立て始めた。そして少しずつ足の角度を変える練習を始めた。
しばらくたって、トイレに行きたいということで看護婦さんを呼んで車椅子に移してもらった。

車椅子に移ろうとしたその時、母は自分で立ち上がろうと腰を少し上げた。この瞬間、私は早く歩けるようになると確信した。

目つきもしっかりしてきた。4時間くらい母のそばにいた。帰る時、母に今の気持ちはどうかと聞いてみた。母は、「安心した。自信もついた。もう大丈夫」と言った。

妹と帰る途中、妹の感想も聞いてみたが、急激に変わった事が信じられないと言っていた。ずっと母の様子を見てきたからびっくりしたのだろう。

1週間後、妹からの電話でそれから3日後には車イスを押しながら歩くことが出来、そして1週間たったころには自分ひとりで歩けるようになり、そして頭も前とほとんど変わらないが左手だけが少しだけ不自由という報告を受けた。

また、臨死体験のようなこともしたと、そんな話も妹から聞かされた。今度母に会った時、その話を聞きながらその延長で死後の話もしやすくなると思った。

「感謝、感謝、大感謝。私は最後まで疑わなかった。いつもいつも助けてくれてありがとう」と自分の魂に感謝した。 
母は無事退院し、今は家にいる。


今回は、ヒーリングがテーマなので母の病気のことを書くかどうかを考えたが、魂と触れる話しは作るものでもないので、私の意識の使い方の一つとして書いてみた。

私がいつも言う魂とは、人間には誰にも持っている魂であって、その霊的レベルはどんな人の魂も同等である。そして、その感じに気づき、少しでも自分の魂に近づいてもらいたいと願っている。

また、不思議な治りかたのところで、無意識に入ったとき自分が分からなくなると書いたが、今はそれがどうしてそうなるか分かってきた。

意識的訓練が未熟だと高い振動、要するに次元が変わると、この世の意識では同調できないため意識が遠のくのである。

これは次元を上げていく瞑想の時でも起こる。これも慣れていくと霊的振動が分かってくる。
無意識の中は、無ではない。そこにはその場の意識がある。今はその場で意識が遠のくこともなく次元の違うものをただ見つめるだけでヒーリングしている。

それは何であるかは言葉で説明しても、振動的なものは伝わらないしイメージもできないと思う。
これは仕方ないことである。

次は、波動振動(2)を予定していたが、また変更で申し訳ないが、次回は私の不思議体験の中でも一番多い予知夢について、それと地震予知情報を予定している。