波動・振動(2)

No. 7 波動・振動(2)

波動という見えない世界にも、実にいろいろな不思議、神秘がある。
人から発する波動を、特殊な感覚を通して色で見えるのはオーラである。

簡単にオーラと波動を区別してみれば、オーラは色を読むことであるから、その見える色の強弱や種類はある程度限定される。

しかし、波動は無意識的に感じるさまざまな周波数、振動数であるから、その微妙な違いや質はかなり幅が広く情報量も多い。

また、波動はそのものを見る前からでも感じられるので、オーラの色をじっくり観察するという時間も必要ない。

目に見ない色や波動など、相手の意識にある情報を読むことをリーディングと言っているが、リーディングに興味がある人であれば誰でもこの能力は訓練できるものである。

それには基本が大事で、波動の基準をしっかり定めそれを意識化するようにしていけば、以外に早くその能力は役に立てるだろう。

しかし、そのリーディングにしても、その人の感応しやすい波動とそうでない波動があるので、その範囲は広く奥も深い。

普通、リーディングする波動の範囲は、低級なものから癒し系の波動や精神世界で言われる愛の波動までだろう。

ヒーリングの「気」も「パワー」も波動である。
ただ、その波動の質はヒーラーが自分自身をどの程度理解しているかによっても違ってくる。

波動の質とは何か。
この世(3次元世界)は相対性の世界である。

簡単に言えば、善―悪、愛―憎、健康―病気、といったポジティブネガティブの両存在で成立している世界である。

この2つの存在のどちらかの中に、どれほど自分自身の心や考えが浸透しているかで、その人の波動の質が変わる。

波動に含まれるネガティブ性を考えた場合、「悪」という性質を潜在的に持っている人はほとんどいないと思っている。

たとえそのような性質の持ち主でも、すべてはただこの世に流されネガティブになっているに過ぎない。
だから、本質に気づきさえすれば、いつでも人は大きく変われるのである。

本質はポジティブであるから、それに気づき変わった人から発する波動は当然ポジティブ性に変わっていくのである。

この世に生きる人間は、単なるポジティブネガティブの傾き加減に影響されやすいとも言える。
私が波動という言葉以外に振動という言葉を加えるのは、まだよく理解できないさらに深い部分の意識を説明しやすくするためである。

すべてのものは振動し、波動を発している。
波動振動(1)でも述べたが、私は高い霊的振動の無意識をその他の波動に反応させている。

人間の意識、本、物、個人のホームページ、ヒーリンググッズ、お守り、宗教的なもの(像)、場所、その他、それらから発する波動のレベルを読むことは出来る。

また、波動を測定またはリーディングする人などのそのレベルもチェックすることは出来る。
ある波動測定者が、仮にポジティブ波動を発している物を、それは悪い波動だと判断した場合である。

もちろんその波動を発するものが、ポジティブ波動を持っていると私が判断したり、知っていたりする場合に限る。

自分が強いネガティブ人間であることを知らない人間は、ポジティブな波動を出す人間や物に対して、それは不快なもの、それから離れていたいもの、またもっと接近してそばにあればそれ自体が無意識的に重荷となる。

その反対を考えてみれば分かると思う。
あなたがポジティブなものが大好きで、いつも心地いいものに囲まれているとする。

そこに、今言った反対のもの、すなわちネガティブが近づいてきたり、いつもそばにあったりするとどう感じるだろうか。

それは不快で嫌な感じがするだろう。
もし、それが心地いい、自分に合っていると感じるならば、あなたはネガティブなのである。

「類は友を呼ぶ」そしてその類にどんどん馴染んでいったなら、その結果「朱に交われば赤くなる」と一体化してしまう。

そして、それが、あなたが引き付けられる自分の思いの実現となるのである。
これはポジティブネガティブの両方に言えることである。

このことは、あなたの周りの人を注意深く観察してみれば、いろいろなことに気づくだろう。
人間は、自分の心は隠せると思っているが、いろいろなところで自分を表現しているのである。

また、人は無意識のうちに、大なり小なり、波動を読むことは生活の中で自然に行なっているとも言える。

いろいろな癒し系のサイトからも波動の質やその内容の真偽が見分けられる。
私はこのようにして判断する。

何かのサイトを開き、先ずそこから出る波動を感じる。
次に、そのサイトの内容をざっと読み、その真実性とそこに入っている意識を感じ取る。

サイトから出る波動と内容による意識的反応、そして、意識レベルとそこに使われている言葉のバランス、これらでほとんどそのサイトの真実性が見えてくる。

いい加減、でたらめなサイトもあるが、もちろん、お勧めできるサイトもある。
また、開いた途端気持ちの悪い波動を感じるサイトもあれば、吐き気のする見るに耐えられないサイトもあった。

これは、最悪であるが、パワーの強さで物事を決める人を引き付けるにはいい方法なのだろう。
黒魔術系のサイトも余程自分がしっかりしていなければ、面白半分でのめり込めば後々苦しむことになるだろう。

現代は、パワーとか波動というものが一般的に受け入れられるようになって来ているが、その裏には、注意しなければならないこともたくさんあるのである。

パワーや波動がすべて善いものとは限らないのである。
パワーの波動を強く出すことは、それほど難しいことではない。

しかし、その思いの持って行き方とその質が大事なのである。
また、ポジティブパワーやポジティブ波動などは、それががんがん強く感じるということはない。

その感じは、強いパワーや波動から離れて、その質が穏やかに変わっていくのがポジティブ波動である。

ポジティブ波動の感じが分かれば、その人は間違った方向へは進みにくいだろう。
なぜなら、それがネガティブかどうか、比較判断して分かるからである。

このあとに述べる本の想念操作にしても言えることだが、実際にそのサイトが目の前にあって説明できれば、いろいろなことに気がつくので本当に意識成長も早いだろうと考えている。

しかし、あまりにもひどいネガティブサイトであっても、名前を出して説明出来ないのが残念である。
たとえ、そのサイトがネガティブであっても、本人がそうとは気づいていないこともあるかもしれない。

大して知らない人が、何も知らない人に表面的なことを簡単に教えていける世の中であるから、いろいろな点で注意が必要となる。

神秘的なことはそんなに簡単ではないのである。
何かを目指す場合は十分に時間をかけよく検討してから進めるといいだろう。

超神秘振動の話しが文字で伝われば、今回の話もかなり理解してもらえると思うが、やはり難しいものだ。

本格的でなくても潜在的に波動を見分ける能力は、人間なら誰にでもあるし、ある意味普通に使っているときもある。

ただそれが、大雑把で細かいところまでは分からないだけである。
不調和や低級なもの、死や重い病気、内、外から感じる嫌な感じがネガティブ波動である。

もちろんその逆は、ポジティブ波動となる。
ポジティブネガティブの感じも、我々の内、潜在意識の反応になる。

自分の潜在意識の中にあるものが、それらの波動に反応するだけである。
この世に生きることが、すべてポジティブ的ならいいが、ネガティブも知っていなければ注意力や警戒感も無くなってしまう。

このため、本来なら必要のないネガティブを自分から外せないことになり、いつまでも苦しむことになる。潜在意識にネガティブの感じが少なくなれば、ネガティブにも反応しなくなっていくのは確実だ。

私がネガティブなものに敏感に、それもかなり低いネガティブにも反応するから、自分はネガティブ人間かというとそれはまた説明が要る。

この世において、ポジティブネガティブの両方を知っていなければ、注意、警戒の意識も無くなって自分を守る判断もできなくなってしまう。

この世的に何か見極めなければならない時は、これに反応させてそのネガティブの程度や正体を知ろうと使うのである。

しかし、それ以外はネガティブに左右されないように、意識の中で自己観察、制御している。

嫌なこと、つらいこと、苦しい思いのときは、誰でも心が重いと感じる。
心が重い、それがネガティブの重さである。

反対に、明るく楽しい時に、心が重いという人はいないだろう。
そのときは、心が軽い、気持ちいいとなる。

我々には、このようにネガティブ波動を見分ける能力があるのである。
心は意識の一部で、この世にある物の重さを心で量ることは出来ない。

しかし、本来重さのないネガティブを心では重いと感じる。
もし、このようなネガティブの重さを心地いいと感じるならば、それこそ、根っからのネガティブ人間で犯罪的につながっていくだろう。

ネガティブとポジティブの波動を日ごろからチェックし潜在意識化させて、その反応をしっかり区別できるようにしておけば、自然に波動を見極める能力がついていく。

すぐどうなるかではなく、潜在意識はその印象、分析判断、書き変え、繰り返しなどで自ら潜在意識内を調整して変えていく。

誰も潜在意識が自ら調整していくということを知らないから、途中で止めたりあきらめたりして、それまでの努力を無駄にする。

自分のやっていることを、あきらめて止めるのもいいが、潜在意識はまだ調整中であと1つ何かが来れば軌道に乗るかも知れないということもある。

しかし、止めてしまえば、その回路は閉じはじめ、そして完全に閉じてしまう。
だから、何ごとにもたとえそのときはできなくても、気持ちだけはあきらめないほうがいい。

回路を閉じなければ後で何とかなるかもしれないのである。
忘れていたことでも、「あっ、そうか」と何かに気づき、またそれから進むこともあるのである。

波動の見分けかたも訓練で、慣れていくことが大事だ。
私も最初から、波動振動を見分けられたのではない。

長い間、それなりの振動訓練、ネガティブポジティブ波動を見分ける訓練、低級高級の意識的識別、霊的振動など、いろいろな訓練をしてきた結果、波動振動を使いわけられるようになった。

結果的には、波動を見分ける能力が今は10とすると、この勉強前は2~3くらいであった。
これは、誰でも訓練すればできるということを示している。

もともと誰にも備わっているのだから、当たり前である。
ポジティブ意識ネガティブ意識、これがすべてをはっきり分けられる基準である。

意識化する波動はポジティブ波動で、それはどこまでも高くなる。
ネガティブ波動に集中すれば、完全に行き止まり混乱あるのみだ。

この意識がはっきりしだしていくと、この世の隠れた真実が見えてくる。
そして、何にもだまされない自分の生き方を確立できるようになる。

ほとんどの人の苦痛は、ポジティブネガティブをはっきり分けられないところで迷い、対立、葛藤でもがいている。

ポジティブネガティブの線をどこで引くか、そんなことが出来るのか。
こう思うのが、この世に慣れ過ぎてそんなことが出来ないと決めつけた思い込みで、この世の暗示と催眠にかかっている証拠である。

このような場合、善―悪で考えてみれば、よく分かると思う。
よく議論の的になるのが、「どこまでが悪でどこからが善だ、線はどこで引けるのか」。

こんな議論は時間の浪費以外なく、絶対満足できる答えはでない。
この線は、この世にあるのではない。意識の中にある。

またこれが、お互いに理解できれば、そのお互いの関係は無意識の中に安らぎになる。
夫婦であっても、この意識的な関係を持っている人は少ない。

これを理解した人が、自分を救い守り、そしてますます成長していく。
その余裕の心からは、親切、やさしさが自然に出てきて、それが無形の愛の波動となって自分から出て行く。

善悪だけで物事を分けては、最後につまずく。
自分自身がやらなくてはならないことは、他人や世界の善悪を分けることではなく、先ず自分の中の反応であるポジティブネガティブを分ける、そして線を引くことから始まる。

自分のネガティブ性を理解しないで、人のネガティブがはっきり分かることはないからである。
人は、普通の中にはっきり分からないことが多いから悩むのである。

自分のネガティブを理解していくと同時進行で、人の心も見えて来る。
他人の心を一方的に研究しても、それほど理解できるものではないのである。

波動障害となるものは結構あるが、いずれ詳しく説明したい。
普通の人には関係ないが、呪われた宝石というものがある。

これは、この宝石を身につけた人が次々と死んでいくとか、病気,事故、不幸続き・精神病・災難に会うという波動障害である。

よくある憑依もこのようなことと関連している。
この場合、潜在意識との関連で悩まされるというのがほとんどだが、まだまだその潜在意識的構造のあり方には気づいていない。

それ以外では映画のエクソシストのような悪魔的憑依もあるが、それは日本ではほとんどないと考えている。狐、ヘビなどが憑いているというのも前世的、潜在意識的に説明できる。

その他、臓器移植による波動の影響などもある。
このことは、健康と病気との関わりの話しをする時、その人の思いが神経と細胞などにどのように影響し、そして病気に発展していくかを説明するとより分かりやすい。

それをしっかり理解出来れば、病気意識から離れることができる。

ヒーリンググッズは、それに波動を入れる場合、その人の意識レベルで大きく差が出る。何も感じないものもあれば、善い波動が出ているものもある。
また、最悪ネガティブ波動を出しているものもあった。

最悪なものを知らないで持っていると、それは程度にもよるが、「呪われた宝石」の波動障害の低いレベルの影響となる。

普通に売られているパワーストーンは、それほどすごい波動が出ているというものはほとんどないだろう。

これは、石に何らかのポジティブ波動や振動を入れることによって、人にいい影響を与えるようになる。
いい波動、振動を入れて、それも自分の体にじかに触れさせておくとさらにいい。

石は、何でもその波動を吸収しやすい性質がある。
また、一度入ってしまうとその波動は抜けにくい。波動の強弱も関係ある。

お寺や神社のお守りは、強くはないがほとんどいい波動が含まれている。

機械による波動転写のものはそれほど多く触れたことはないが、ただ推測できることはある。
機械は、人間を越えられないということである。

一般的にヒーリングなどの「気」「パワー」などの波動は、すべて善いものだと信じきっている人がほとんどであるが、その中には低級な波動もある。

「気」「パワー」などで低級波動を入れられた人は、個人差もあるが体調や運気は徐々に低下していく。
憑依的なものも含めて、低級波動を入れられた人は、自分で外すことは出来ない。

自分にポジティブな力とその智恵があれば、どんな波動でもどうにでもできるが、こうなるとほとんどの人は無理となる。

霊能者と言われる人であっても、波動振動を完全に見極められる人は少ない。
霊能者のほとんどは、低級波動を相手にしているので、その低級の中で戦っていることが多い。

その他にもいろいろあるが、いつか詳しく説明してみたい。

現代は、いろいろなものに波動を入れたものが多くなっているが、何でもありの時代だから注意も必要になっていくだろう。

もし、あなたが仏像やキリスト像をを持っているとして、それに強いネガティブ波動が入っていると気づいたとき、あなたはその像を捨てられるか、それとも燃やしてしまうことが出来るか。
それともそうすることが怖いか。

本質は、形ではないのである。

そろそろ、見かけや形の暗示から離れる意識をつけることも必要である。

ずっと先何十年後の人間が、それまでの人間意識を振り返ってみたとき、いろいろな固定観念に縛られ、苦しんでいた過去の人間を不思議に思う時代が来るだろう。

ここからは、私が本を読むときに行っている波動チェックに関して述べてみる。

これまで説明してきた文と分けたのは、著書の名前を出せないので少し意識的反応の説明が分かりにくいと思ったからである。

私がどのようにして、巧妙な想念操作を見破っていくかを、ある本を例に述べてみたい。
本といっても、ここでは人の心や意識に関係するものが対象である。

心理、自己啓発、哲学、宗教、精神世界などや潜在意識や霊的関連の本、それにチャネリングや予言的なものも入れている。

私が今まで精神世界系の本を真剣に読んだのは、20冊くらいである。
その他では、どのようなことを書いてあるかチェックするとか、知識を得るためにざっと読む程度あった。

何回も読み直してみたいという本はほとんどないが、逆にうんざりするような本に出会うこともある。
ここでは、そのうんざりした本を取り上げてみるが、それは読む人の心を想念操作しているという点で読むことが腹立たしくなった。

「想念操作」、この意味は人が普通に行なう正しい判断や思考を意図的にマヒさせるか、または洗脳していくということである。

このように感じた本は、私も読む前は大変期待していた有名な本だったので、余計に不快に感じた。

その本がどういう想念操作をしているかを説明する前に、私が本を読みながら、本の波動レベルを自動的に潜在意識に反応させる方法を述べておきたい。

本を読んでいるときは、その本の意識レベルに無意識的に反応している。
それを分かりやすく色で表すと、その段階は黒から白で、黒は最低で、白は最高である。

その間は黒に近いグレーから白に近いグレーとなる。
それが数字であれば、1から10となり、その間は1の低級から10の高級となる。

高級波動やその言葉は、色で言うと限りなく白に近いグレーか白となる。
反対に、低級波動やその言葉は、色としては、限りなく黒に近いグレーか黒である。

精神世界の本は、本来普通の本よりは気づきや意識成長について書かれてあるので意識レベルも高い。
読むときの私の意識は、その基準を5、6,7に置く。

普通は、そのあたりか、せいぜいその前後までの波動内で動く。
本を何ページか読み始めていくと、ある程度そのレベルが見えて来る。

10から20ページも読めばその本のレベルは大体分かってしまう。
普通の本であればそれほど引っかからずにこんなものだと読んでいく。

それが、意図的、または明らかに想念操作しているとしか考えられないような本がある。
私が期待して読んだ本はこうであった。

先ず、「序文」に書かれてある著者の意思を探る。
私の中にある程度、本の内容やレベルが用意される。

期待、疑問、疑心、いろいろなことが自分の中に並んだ。
それから読み始めていくと、最初は5,6,7のレベルで用意されていた意識が数ページ読むだけで変わって行く。

5,6,7が8,9に高レベルになっていく。最初はよく持って行く。
そのうち、その程度が4,3と下がる。それからすぐ、9のレベルの話しになり、私もなかなか本質を突いていると感心した。

いい感じだと思っていたら、今度はいきなり3,2に話にレベルを下げていく。
高レベルの話しをする人は、こういう方法は取らない。

完全に揺さぶり状態で、徐々にネガティブなものをポジティブだとして人の正常な判断をマヒさせていく。

この繰り返しで進めていくと、知らない人は、その内容からネガティブなものをだんだん自分の意識として受け入れやすくなって行くのである。

私から見れば、白から黒の間をジェットコースターに乗って上下、カーブと揺さぶられている感じで、読んでいて不愉快になってくる。

これが普通の本であればこうは思わないだろうが、とてもいいことを書いてありながらこのような低級なことをするので、その本には今でも不快で嫌な感じの印象が抜けない。

かなりの速さで本を読んでも、飛ばし読みでも、無意識からの反応で自動的にポジティブネガティブの度合いの色が変わっていく。

大体、本の意識が感じ取れたので、特に自分の中で反応しない限りは観察するような感じで飛ばし読みをした。

途中を少し読み、また飛ばして最後を読む、不愉快な本はまともに読む気はしないが一応チエックはしておく。

これで、大体その本の内容と想念操作法がつかめたので、確認するだけでまともに読む時間が省けた。

当然、真理的なことも書かれたあたので、内容的にもすばらしいところはあった。
しかし、想念操作はここが大事なのである。

オウムの麻原彰晃や以前問題のあった自己啓発セミナーでも、信者や自己変革を望む人の前では、当然、真理や真実または夢のような自分実現などの言葉を話しているはずである。

洗脳して自分の教団に従属させようとする宗教団体でも、そのような言葉を使う。
我々がだまされてはならないのは、そのような言葉をいう人間がすべて正しいのではないということである。

このような精神のネガティブ人間は、人が美しい言葉や真理の言葉、そして感動的な喜びの言葉によく反応することを知っているのである。

もし、これがネガティブな言葉で人を集めるとしたらどうだろうか。
中には喜んでついて行く超ネガティブ人間もこの世にはいるが、ほとんどの人は反対に注意するだろう。

このようなことを、それも人の知らない神秘的で真実な言葉で語れば、すばらしいと多くの人が感動するのも無理はないのである。

その人間の善性質を利用して、他のネガティブ性を受け入れさせたり低級な判断に持っていったりする方法は、あたかもそれが正しく当然のようにいつの間にか判断を麻痺させて行くのである。

このような考えかたがや方法がいつの間にか正しいと受け入れてしまった多くの人は、自然に自己判断が違う方向へと向いてしまう。

では、何で自分では気づいていないが、このようなことが良くないかということになる。

それは、自己意識成長の停滞、それだけではなくもっと深刻なのは、親しい人や子供などへの考え方の悪影響、また指導的な立場であれば、その話しを真剣に聞こうとする人たちへの間違った誘導となるからである。

こうして、ネガティブ性は人類の意識的成長を全体的に遅らせることに成功させていくのである。
この巧妙さは、ポジティブネガティブの本質を中心にもっと詳しく説明すれば、その真実を納得させることもそのネガティブ意識を覆すこともできる。

また、私はそのような本を支持している人も、そのレベルの意識と見ている。
それを支持している人のほとんどは、怒力しなくて目先の楽しみを追うことがいいとしている人もいる。

それが人生であるとしている。うまく洗脳されているといった感じだ。
知らない人に伝えていくその影響は、計り知れない。

ある一部の人間のせいで、本来正常な人間の考えかたまで変わって行けば、今後それに気づかないかぎり、その話を受け入れた人はそれほど大きく成長することもないだろう。

しかし、このように言っては来たが、この本のすべてが良くないと言うことではない。
ある意味では、真理的なことや神秘に関した内容であるから、書いてあることもかなりすばらしいと思えることもある。

その部分だけをうまく自分のものにして、余計な考え方だけを捨ててくれればいいと思うが、それは難しい注文かもしれない。

私は、この本は人に薦めないが、説明を求められれば次のように言う。

「この本は、ネガティブがどういうものであるか知る上ではいい本である。自分が意識的に成長しているかどうかは、この本を一冊読むだけで分かる。そう意味では、いつか自己意識のレベル確認のために読んでみるといいだろう。真のポジティブネガティブの意味がわかっていれば、そのときはきっと私が感じたように、あなたも不快な気持ちになるだろう」。

ここ、2,3年の精神世界系は、見事にこの本の想念操作にはまった。
霊的、神秘的な言葉は、精神世界のファッションとなり、誰でも知って出来るかのように簡単に使っている。

私は神秘的な用語を知らないわけではない。
それが、どのようにすばらしいか、またそれが簡単に扱えるものではないと知っているから、ほとんどそのような用語を使わないようにしているだけである。

少なくても今述べてきたこの本については、高レベルの話も多いが、それを考えるとあまりにも低級すぎるといった感じである。

初めて人が知る神秘と、あまりにも低級な話がひとつの本の中ですべて正当化されていく。
ポジティブ性をここまで落とせるものかと思えるような本であった。

ここまで言うには、どういうところが良くないかは、私自身が根拠を持ってはっきり説明できるということも付け加えておきたい。
これは、自分のこれまで勉強してきた全意識をかけて言えることである。

アセンションがどうのこうのと言われている時代である。
これからもこういう巧妙なネガティブの罠は増えていくだろう。

既に、いろいろな方面で進められているかもしれない。
まったく初めてのことや新しいことには、人は無防備でありその見分けかたもわからない。

方向性の見えない世の中だから、この先もネガティブの罠にはまって行く人は多くなるだろう。
気の毒なことだが、これも自分の意識次第ということか。