ポジティブ意識

No. 29  ポジティブ意識

ポジティブ意識とポジティブ思考は、ほとんど同じとして考えている人もいると思うが、その意味や自分におよぼす影響力を考えると、この二つのポジティブは全く違うと言える。

単純に言えば、ネガティブな考えよりポジティブなことを考えていたほうが良い、という意味でのポジティブ思考というわけである。

誰にでもわかる当然なことであるが、それがいつもできないからこのような言葉があるのだろう。
人間は、ネガティブに入ることは簡単だが、ポジティブなことになると努力が必要だということになる。

相当数の過去世を通って来ながら、真のポジティブ性に一度も触れることがなかったという点で、仕方ないと言えば仕方ないとなり、だから何度間違ってもいいという慈悲があるのか。

心に悩みや問題をかかえていながらポジティブ思考しても、またそれによって良くなることを期待しても大した変り方はしないのである。

余計むなしさが残った経験をした人も多いはずである。
すべての答は、潜在意識の中にあるから、少なくてもそれに触れない限りは何も変らないということになる。

ポジティブ意識とは、意識そのものがポジティブ、要するに調和、愛、平和な心とかそれが基本になっている意識ということである。

ほとんどの人は、このポジティブ意識というものの本当の意味があまり分からないかもしれない、また特別なものとして考えているかもしれないが、このポジティブ意識が身に付いてくると、今度はポジティブ思考というものを、全く考えることも思うこともなくなっていくのである。

誰でも善い考えでまた善い心で生きたいと思っているはずである。
中には、そうでない人もごくわずかいると思うが。

人間の理想、最も安心していられる心のあり方は、結局ほとんどの人にとって共通のことであるのに、それを中心とした共通の意識状態として、また人との一体感として持つことができないこ
とで、いつまでもお互いに解りあうこともできず、いつまでも本来の自分たちの意識ではない外側にある不調和の戦いに、人間本質のすべてをゆがめられている。

ポジティブに考えようとして、ネガティブな事にふたをするか、心の隅に追いやるか、それとも一時的ななぐさめでとりあえず良しとするか。
このような方法では、自分を向上させていく自然で長続きする変化をもたらすことはできない。

では、ポジティブ意識とはどういうものなのだろうか。

ポジティブ思考とかプラス思考(同じこと)という考え方や心の持ち方がある。
当然ネガティブ思考やマイナス思考(同じこと)に比べれば、ポジティブの方がいいことには違いない。

何でもすぐ自分の都合のいいように考えを始末してしまったり、ポジティブ思考に変えることがすべていい方向に向かうと思ったり、自分がいつもポジティブ思考しているからといって、相手の苦しみも変えずに強引にポジティブ思考を押し付けたり、ネガティブだからといって何でも蓋をして押し込めてしまったり、とにかくそのポジティブの真意を知らずにただその言葉の響きに
その気になっている人もいるだろう。

ポジティブ思考にしても自己啓発にしても、自分を見つめ自分に注意を払いながら自分と相談しながら実践して行かなければ、その言葉による理想的なことだけでは、逆にネガティブに陥って思考の組み立てを見失い、自信をなくし、自己混乱を起こしかねないのである。

私は、ポジティブ思考が良くないと言っているのではなく、それを単なる本質に向かうための土台にすればいいと考えているだけである。

意識は、自動的に思考に影響を与え、思考を支配する。

ポジティブ意識とは、これらのことを理解した上で成り立つ自分である。
自分を代表させるに値する、自分として認めていい自己存在の考えであること、要するに自己一体意識である。

その延長が、宇宙意識になる。
最近、この言葉を目にするようになったが、宇宙意識はポジティブ意識から入るのである。

ポジティブ思考からいきなり宇宙意識へという順序は、成り立たないのである。

ポジティブ思考は調和側の本質方向であり、ネガティブ思考は不調和側の本質方向を基礎とするものである。

ポジティブ意識に至る前にポジティブ思考の意味を知っておかなければならない。
これらのことは単純なことであるが、すぐに分かるほど人はポジティブ的ではない。

その理解は、潜在意識から人間の本質そしてもっと深いことが絡むことであるから、その理解を深めるだけでも、自分の人生を左右するくらいの智恵と力を身に付けることになる。

それが真の自己啓発である。
そしてその理解が、ポジティブ意識全体に関わってその感じが分かってくる。
それに続く感じの形成は、その意識と自分が無理なく一体化していくことである。

ほとんどの人は、すぐにでも簡単にできる方法を求める。

私もそのような方法があるのなら飛びついたかもしれない。
時間とお金を使い、次から次へと探しまわっているうちに、年月はどんどん過ぎて行く。

あげくの果てにそのようなものはないという結論に達し、あきらめと共にその延長上の人生をむなしさと背中合わせで生きていく。

このような遠回りをせず、基本的にポジティブ意識というものを客観的に注意しながら研究し自分に当てはめていけば、それこそいろいろな気づきや知恵が浮かんで来るものである。

すべては自分自身を真剣に見つめることで得られることである。
これこそが、一番の近道である。

ポジティブ意識が身に付くことによってその結果どうなるか、一言でいうと、マイナスになることは何もないということである。

すべてにおいてそう言える。
それだけではない、それは我々の見えない世界や未来までその力は及ぶ。

この世の何かのためにする努力は、この世の結果として出てくるが、ポジティブ意識は、その努力がそれ以上の見えない部分までその影響を浸透させ、自己創造性の援護にもなっていく。

その影響は一生続くのであり、その理解も一生の間でも終わらないくらい深みがある。
人生は、仕事などこの世における目的がある。

しかし、人は人生における自分の目的を持っているだろうか。
定年で自分のやるべきことが終わったとするには、少し寂しい気もする。

真の喜びと楽しみを心から感じてもらいたいものだ。

もう一度、別角度でポジティブ思考とポジティブ意識のはっきりとした違いを述べてみる。

心は知識の範囲で活動し、意識の分野になると心は反応できなくなる。
心を使ってどんなに意識的なことを知ろうとしても、意識の範囲については何も知らない心は動きようがない。

心は知識によって動きやすくなるが、意識はその心の分野まで含む。
知識は、ある特定のことに関してその力を大いに発揮できるが、限定的である。

意識は、自分の精神全体に行き渡って自己の全体的思考なり判断に影響をおよぼす。
心は限定的束縛的であるが、意識は自由そのものである。

私は、数ヶ月前、現在の心理療法にはどのようなものがあるかと興味を持ち、何冊かそのような本を読み始めた。

しかし、5冊くらい読んだ頃から体の調子のレベルが下がってきた。
どうしてそうなったか自分で見つめてみた。

思い当たったことは、心理は非常につまらないということだった。
それもまるで解剖学の本にある死体の写真で勉強しているような感じだった。

私がこの時気が付いたのは、心理は限定的で、人の意識を狭い囲いの中に押し込めている不自由極まりないものだということだった。

私は、その後静かに自分自身を意識の中に解き放った。
そうすると、無限的で、限定のない自由に自分の意識すべてが溶け合うのを感じた。

その感じに浸っていると、体まで楽になってくるのが感じられ、人間本来の居場所、自分の安らぎの場所はここしかないのだとつくづく感じていた。

心は意識の支配下にある。
だから私は、時間がかかっても重点的に意識全体を理解するようにしているのである。
それが分かって来ると、ほとんどの心に関する事は、すでに知られたものになっているからである。