潜 裡 眼
No. 9 意識の変換
人間一人一人に潜在意識があり、魂がある。
魂は潜在意識よりさらに深い無意識にあり、過去世や霊的世界などと一体化し、霊性から物質性まで延長している。
魂は霊であるから、我々の肉体の中には入っていない。
ただ、意識という通路を介して魂(霊)と我々の肉体は繋がっている。
その構成、意識的流れである秩序は、前回示したとおりである。
魂は霊であり神と一体であるから、その現れである我々の意識は、当然神意識を内在していることになる。
我々が自分の意識を生命(魂)として認めれば、その根源において我々は永遠の生命になる。
このことに目覚め、意識するようになった時点から、完全なる自己意識とその世界への探求が始まる。
人間存在のすべてのことに関わる潜在意識についての理解は、自己の生活や健康そして人生全般に大きな力となる。
これだけではない、我々の努力次第では、自己の内にある潜在力まで引き出せるのである。
単に宗教的理解や記憶だけの知識で終わるか、それとも自己の知恵となすかは、潜在意識をどの程度深く理解できるかにかかる。
自己の確信したことがそのことに対する証拠であり、その他のことは、すべて参考になるのみである。
またこのような探求は、人間の真の姿(正体)を知ることにもつながり、その理解は今まで我々が抱いていた疑問をほとんど洗い流してくれるだろう。
魂は、その根源においてすべて同一の完全なる平等である。
また、すべての潜在力は、同一の根源から来る。
同一の根源という事を絶対とするならば、これ以外からくる力というものは考えられない。
いろいろな力があると考えるのは、人間の思いによって現わされる一つの潜在力から分化した力に過ぎない。
しかしその力は、人間の独創性という一つの表現でもある。
人間一人一人には、創造力がある。
これは、単なる物を造ることだけではなく意識的な自己表現も含む。
我々の内なる世界は、潜在意識から創造力(潜在力)の世界へと、どんどん広がっていくのである。
一番大切なことは、あなたがこの先如何にして、インスピレーション・気付き・潜在力などを受けられるまたは引き出せるようになるかということになる。
少しの時間であっても、自分の内なる力を意識して生きることは、未来の自分自身に楽しみを蓄えることにもつながる。
その継続は、あなた自身の個性、特性を反映する独創的な自分自身を形成して行くことになる。
そのためにも、我々は潜在意識の正しい理解が必要なのである。
我々が潜在意識に近づき、その理解を深めるためには、知っておくべき基本的なことがある。
それは、心の分野で、心の本質を知ることにつながる重要なことである。
我々が潜在意識を理解し、同時に自分の心や意識を広げるためには、我々の心に巣くっているもの、簡単に言えば理解を邪魔するものを排除しなくてはならない。
その巣くっているものは、悪いものだけとは限らない。
それは、一般的に固定観念と言われているもので、会話で「あなたの固定観念が邪魔しているんだ」と言うのを、あなたも何度か聴いていると思うが、私が考えている理解を邪魔するもの
とは、このようなことを言う人の固定観念も含めた人が当たり前として自己に染み付いている観念である。
この排除が一番の基本であって、少しでも多くその邪魔ものを排除しないかぎり、どのような方法を用いても潜在意識には近づけないのである。
それがどうしてかは、霊的秩序とその振動的分離による意識レベルの法則であるから、誰もこれに逆らえるものはいない、ということだけしか今は言えない。
この場合の潜在意識とは、人の記憶が大部分を占める深層意識を越えたものを言う。
ではこの排除する固定観念というものが何であるか概念的に言うと、それは潜在意識層の浅い部分に重なっている、あいまいで、何の根拠もない、ただ流されるままに意識化されたいろいろな記憶である。
要するに、今まで生きてきた中で蓄積され潜在意識化されたいろいろな物事で、それが固定観念になっていると言えば分かりやすいだろう。
その一部を並べてみると、「他人の言葉を吟味もせず鵜呑みに信じたもの」、「この世に流されるままに心に入ってしまったもの」、「テレビや雑誌などから得た断片的な事実」、「自分の今までの体験、慣習、伝統など」、その他にもいくらでもあり、人によっても大きな違いが
ある。
このようなものから造り上げてしまった自己観念は、さらにその繰り返しで混乱した考えや答えを積み重ねることになる。
「何かが分からない」というのも当然で、本当のことを知らないまたそのようなヒントや答えを引き出すような構成になっていない意識から、何かを得ようとするのは無理な事である。
頭では分かっている、しかし潜在意識にはそれを判断するものがない、それが「何かが分からない」といった変な思いを感じてしまうのである。
あなたは、これから先、自分の中にあるいろいろな思いや考えを見つめ、そのどれくらいが確信と根拠を持って説明出来るか試してみるといい。
人を説得させるくらいの説明が出来るだろうか。
何かを批判するにしても、その根拠はあるだろうか。
それを自分自身にやってみると、何か気が付くことがあるだろう。
我々は、どんな事でも追求しだすと必ず立ち止まらなければならない、それ以上進む事のできないところに当たるのである。
それが、自分の意識レベルであり、潜在意識の自我個性としての構成である。
次は「変わる」という状態の、潜在意識における基本的な構成である。
自分が「変わる」ということは、一つ一つの物事を十分に理解し納得し確信したことが、今ある自分の潜在意識に変わって置き換わることである。
十分に理解したことを納得し、心から確信することになれば、今まであった潜在意識と新たに確信したことが入れ替わり、これからは新しい潜在意識で自分が反応する。
すべては、繰り返しで向上し、すぐに何とかしようとしてもできることではない。
個人個人で理解は違い、その数は無数にあり、その一つ一つが悟り(理解)となる。
潜在意識に入った物事は、自分がこの意識や記憶が嫌いだから外し忘れてしまいたいと思っても、それは出来ない。
人が心の問題で解決できないことの原因の一つには、無理にその問題を外そうと集中するだけでなく、その解決のために今以上の良い状態に変われる自分が納得できる条件を用意していないという事にもある。
それは、物だけでなく心の納得状態を含めてである。
長年悩んでいた事も、本当のことが分かったとたんすっきりしたという経験を持っている人もいるだろう。
それは、その物事がどんな形にせよ、理解し納得した結果、以前のものと置き換わったからではないだろうか。
自分の中にある意識を取り替えるには、対象となる物事が良くも悪くも自分自身が認めたものか、真実として受け入れたものでなくてはならないのである。
しかし、自己の記憶まで消すことはできない。
ただ我々は、自分の嫌な物事から影響されることが無くなるのであり、また確信する度合いによっては、その自分を苦しめるものがほとんど心に出てくることもなくなるのである。
もし、あなたがこのことが出来るようになれば、どれほど心身共に楽になれるか想像できるだろう。
気持ちよく納得できれば、解放のされ方も心地いいが、反対に強引に行なった場合はどうなるであろうか。
あなたが自分の嫌な事を忘れてしまいたい、すべて捨ててしまいたいと思ってその努力がうまく行ったとする。
しかし、それは完全ではない。
それは、単なるその嫌なものに強くふたをしただけなのである。
それは、いつか自分を苦しめる要素として残しているに過ぎないのである。
我々は、今ある潜在意識を捨てて、そこを空白のままにしておく事はできない。
それは、外す、捨てるのではなく置き換えなければならない。
自分が納得し完全に認めるそれ以上のもので。
今あるものが自分を苦しめるだけの、いかに価値のない物事として認め、そしてそれに変わるすばらしい意識で置き換えることによって、これからは以前のような反応はしなくなる。
今から、新しい意識で反応するのである。
これで潜在意識の一部は変わったのである。
少しだけ変わったのなら、それは一部に対する確信であり、また思った以上の確信が得られれば、すべては一変するだろう。
人の苦しみの中には、非常に大切なこともあり「いかに価値のない物事」とは言えない場合もあるが、そのような事にもそれなりの意識のあり方があるのである。
今は、基本的なことを述べているだけである。このような理解が増し自分を信頼できるようになった時、願望実現の法則を適用すればいいのである。